久松俊勝 徳川家康の母・於大の方の再婚相手!家康に激怒で隠居する?
徳川家康の義父にあたる久松俊勝を取り上げます。
大河ドラマ「どうする家康」では、リリー・フランキーが久松俊勝役を演じています。
このドラマでの久松俊勝は、空気を読む事に長けた家族のために継子である家康に従う人物として描かれてますね。
久松俊勝とは?
久松俊勝は、1526年に久松定義の息子として生まれました。定俊という幼名で呼ばれていました。久松家では定という字が受け継がれていた様です。
その後、父が織田氏に従う事になったので、長家という名前に変わりました。織田信長の長から一字貰い、信長が元服した1546年以降に改名したと伝わります。
久松俊勝は、尾張(今の愛知県)の知多郡にあった坂部城の城主でした。
久松俊勝 徳川家康の母・於大の方と再婚
久松俊勝は、徳川家康の実母である於大の方の再婚相手として知られる存在です。於大の方も再婚なら久松俊勝自身も再婚でした。
1547年に再婚した久松俊勝と於大の方の間には3人の子がいます。その子供たちは後々、家康から松平姓を名乗る許可を得ました。こうして俊勝の息子たちは、家康の一族に組み入れられたのです。
久松俊勝 徳川家康の家臣となる
久松俊勝は、桶狭間の戦い後に義理の息子・徳川家康からの招きを受け入れてその家臣となりました。
久松俊勝は、1562年に今川家の重臣である鵜殿長照が守る上ノ郷の戦いで活躍します。天然の要害である上ノ郷城攻めに当初は苦戦するものの、見事攻め落とし家康より上ノ郷城を与えられます。
久松俊勝の子 久松信俊の自害
久松俊勝には、久松信俊という庶長子がいました。
1577年に織田信長の重臣である佐久間信盛が、信長に対して讒言をします。信長から謀反の疑いをかけられた信俊は、自害をし所領の坂部城まで没収されてしまいます。
これを機に久松俊勝は西郡城に隠退しており息子の信俊の死は、俊勝にとって非常に大きな事件であったと言われています。
又、その前年となる1576年には於大の方の兄である水野信元が、織田信長の命とはいえ家康に殺されてしまいます。
これは、信元が敵と内通したのが原因でしたが、実は信元は無実でした。織田信長がかけた謀反の疑いを信じた家康は、俊勝にはその事を伏せて水野信元を連れてくるように言いました。その後、家康は信元を討ちました。
信元の死の一端を担ってしまった事と伯父の信元よりも織田信長を信じた家康に、久松俊勝は怒りを表し第一線から退くことにしました。
久松俊勝の最期
久松俊勝は、義兄・水野信元と長子・信俊が冤罪で失ったことで隠居しました。その後どうなったのかは詳しく記されていません。
一説によると、1587年4月21日に62歳で亡くなったと伝わります。この頃は、まだ豊臣政権時なので、義理の息子・家康の天下統一を見届ける前に亡くなった事になりますね。
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