亀姫 徳川家康の長女で奥平信昌の正室!その生涯は波乱万丈だった?
徳川家康と築山殿の間に生まれた亀姫にスポットを当てたいと思います。大河ドラマ「どうする家康」では、女優の當真あみが演じています。
亀姫は、母・築山殿と兄・松平信康を不幸な形で亡くしているので、薄幸なお姫さまのイメージが付きまといますが、実際の亀姫はどのような人生を歩んでいったのでしょうか?
亀姫の生涯について紹介していきたいと思います。
亀姫の生涯 徳川家康の長女として誕生
亀姫は、1560年(永禄3年)に駿府で誕生しましたが、母・築山殿と兄・松平信康と一緒に今川氏の人質状態となっていました。
そして、2年後に今川氏との人質交換という事でようやく父・徳川家康がいる三河の地に移ることなりました。
成長した亀姫は、16歳で奥平信昌と政略結婚します。結婚してから3年ほど経ったあとに母と兄が非業の死を遂げます。
その後、徳川の世になると夫・信昌が美濃加納10万石に封じられたことで亀姫自身も加納御前や加納の方と呼ばれるようになります。
晩年は、夫や息子たちに先立たれて出家しました。盛徳院と名乗りまだ幼い孫たちの後見役として権勢をふるいました。
最期は、加納の地で1625年(寛永2年)に66歳で亡くなりました。
亀姫の結婚 奥平信昌の正室となる
亀姫と奥平信昌が結婚した背景について。
亀姫は、1576年(天正4年)に新城城主であった奥平信昌のもとに嫁ぎました。亀姫16歳で信昌21歳の時です。この結婚は、武田氏と争った長篠の戦いで活躍した奥平信昌への褒美でした。
奥平氏は、奥三河を守っていた豪族でした。武田氏の勢力を抑えるために奥平氏を味方につけたい徳川家康は武田氏から寝返らせる条件として亀姫と奥平信昌を結婚させることを約束していました。この提案を最初に思いついたのは織田信長だったと伝わります。
奥平信昌のもとに嫁いだ亀姫ですが、夫婦仲が気になりますよね。
二人の間には4男1女が誕生して信昌は側室を一人もつくりませんでした。(怖かったから!?)まぁ~でも子を出来て夫婦仲は良かったのではないでしょうか?一説には、嫉妬深い亀姫が侍女12人を殺したとも伝わります(怖)
ただ、奥平信昌には亀姫と結婚する前に妻がいました。名前を「おふう」と言って13歳で武田氏に人質として出されていました。その後、夫・信昌が徳川氏に寝返ったことで離縁されそのまま16歳という若さで処刑されてしまうのです。
戦国の世のよくある話なのかもしれませんが、理不尽過ぎますよね。夫が別の女人と結婚するために離縁された挙句夫のために自分が殺されてしまうなんて・・・。
亀姫と宇都宮城釣天井事件
さて、亀姫の有名なエピソードに「宇都宮城釣天井事件」というものがあります。
簡単にどういう事件か説明すると、7歳で宇都宮藩主となった孫・奥平忠昌の後見役だった亀姫は、孫の転封後に宇都宮にやってきた本多正純を前から嫌っていました。そのため亀姫は、異母弟である将軍・徳川秀忠に「宇都宮城で釣天井を仕掛けた将軍暗殺計画があるよ」と告げ口します。
勿論、すぐに嘘だとわかる話でしたが、結局は本多正純は失脚してしまいます。そして、宇都宮藩主として再び孫と一緒に亀姫は返り咲いたのです。
関連記事
-
-
源行家 死神と言われた男の最期とは?源頼朝、源義経、源義仲の叔父
さて、本日取り上げるのは源頼朝・源義経・源義仲の叔父にあたる源行家(みなもとのゆきいえ)になります。
-
-
赤染衛門 凰稀かなめ演じる女流歌人!紫式部や和泉式部との仲は?
藤原道長の妻・源倫子に仕えていた赤染衛門を取り上げます。読み方は「あかぞめえもん」です。大河ドラマ「
-
-
土田御前 大河ドラマで織田信長の母を演じるのは檀れい
大河ドラマ「麒麟がくる」で、帰蝶が織田家に嫁ぎました。 そのため、織田家の人物が登場するように
-
-
上総介広常の最期は源頼朝に裏切られる?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、佐藤浩市が演じる上総介広常を今回は取り上げたいと思います。 坂
-
-
渋沢栄一は何した人なのか?嫁・千代以外にも妾がいて女好き!
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日からスタートしたわけですが、登場人物を全然紹介していなか
-
-
織田信秀 ライバル・斎藤道三や息子・信長とは正反対の秩序ある武将
今日、紹介する大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物は、織田信長のお父さんである織田信秀です。 ド
-
-
藤原道兼 七日関白と呼ばれた藤原道長の兄!大河ドラマ「光る君へ」の悪役
NHK大河ドラマ「光る君へ」の初回放送で、ある意味強烈なインパクトを残した藤原道兼(ふじわらのみちか
-
-
源頼家の正室はどちら?若狭局(せつ)と辻殿(つつじ)は御台所にならず
鎌倉幕府の2代将軍、源頼家の正室というか御台所は一体誰なのか? 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に