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織田信雄 「どうする家康」では浜野謙太が演じる信長の次男!

3か月ぶりの更新となってしまいました。仕事が忙しくて大河ドラマ自体も観れていないという・・・。なので今は録画してあった過去の放送分を視聴している最中です。

大河ドラマ「どうする家康」の現在の進み具合は、小牧・長久手の戦いの決戦前というところでしょうか?

今回は、その合戦のきっかけとなった人物として織田信長の次男である織田信雄を取り上げたいと思います。

織田信雄とは?

織田信雄(おだのぶかつ)は、織田信長と信長の側室・生駒吉乃との間に誕生しました。信長の嫡男・織田信忠と松平信康に嫁いだ徳姫とは同じ母を持つ兄弟ですね。

大河ドラマ「どうする家康」では、浜野謙太が織田信雄を演じています。過去の大河ドラマでは、1981年の「おんな太閤記」では長塚京三、2000年の「葵 徳川三代」では清水幹生が信雄役を演じていました。

父・信長や兄・信忠と比較すると戦国大名としての素質がなく小心者としてみられていた信雄ですが、乱世をしぶとく生き残り晩年も悠々自適な日々を送りました。意外と世渡り上手なのかもしれませんね。

それでは、もう少し詳しく織田信雄について紹介していきます。

織田信雄の生涯について

織田信雄は、1558年(永禄元年)に織田信長の次男として誕生しました。本当はすぐ下の弟とされる織田信孝の方が若干早く生まれたとされますが、母の身分の差で信雄を次男とした説があるようです。

信雄11歳の時、北畠具教の娘である雪姫を正室とします。これは信長が北畠家を攻略するための婚姻で婿入り(?)した信雄は、1575年(天正3年)に正式に北畠家の家督を継ぐことになります。

家督を継いだ織田信雄は翌年、義父・北畠具教とその息子たち、家臣たちを殺害してしまいます。父や兄弟たちを殺されてしまった雪姫でしたが、正室の座は無事に保たれて彼女が亡くなるまでずっと夫の信雄の傍で仕えたとされています。

北畠家の実権を握った信雄は、兄・織田信忠の下で戦に明け暮れる日々を送ることになります。紀州征伐や石山本願寺、神吉城攻め、そして天正伊賀の乱に加わりました。

ただ、天正伊賀の乱では信雄のミスで大敗を期して父・信長を激怒させて親子の縁を切るとまで叱責されました。

織田信雄と本能寺の変

1582年(天正10年)6月2日、本能寺の変にて父・信長と兄・信忠が亡くなりました。

明智光秀は勿論、織田信雄の命も狙っていたと思うのですが、信雄はその時一体、何処にいたのでしょうか?

信雄は、所領のある伊勢松島城にいました。そして、近江まで出陣しましたが、羽柴秀吉がすぐに明智光秀を討ったので信雄自身は命の危険に晒されることなく無事でいることが出来ました。

織田信雄と小牧・長久手の戦い

父・織田信長と織田家の家督を継いでいた兄・織田信忠が、本能寺の変にて共倒れになったことで織田家の家督は本来なら織田信雄の手に渡るはずでした。

しかし、羽柴秀吉によって織田家の家督はまだ幼い甥の三法師のもとに渡ることが決定事項となってしまいました。いわゆる清洲会議ですね。

その後、清洲会議の取り決めは反故にされて結局は縮小された織田家の家督は信雄のものになりました。当時は秀吉との仲も悪くなく所領を加増されたりしました。

しかし、いつしか秀吉と信雄の関係に亀裂が入ると信雄は徳川家康に近づいて同盟を結んだりもしました。信雄はよく言えば世渡り上手で悪く言えばしたたかな面があったのだと思います。

やがて秀吉VS信雄・家康の図式が出来上がり小牧・長久手の戦いに発展していきます。この戦いは、秀吉軍10万の兵に対して信雄・家康軍は3万の兵しかいませんでした。

戦いの結果は秀吉軍の池田恒興、森長可などを討ち取ったりと信雄・家康軍の大勝利でした。ただ、戦的には勝利を収めましたが、秀吉の策略で信雄の伊勢での影響力が急落したのです。

小牧・長久手の戦い後の織田信雄は、秀吉との仲も良くなったり悪くなったりと結局は悪くなり(!)改易されて流罪の身となりました。のちに家康の口添えで赦免されます。

織田信雄の最期とは?

秀吉が亡くなったあとは、関ヶ原の戦いで西軍についたため改易されたりもしましたが、徳川家康と織田信雄の仲は良好でした。

1615年(元和元年)に家康から大和国と上野国の一部を与えられて養蚕をはじめたり庭園を造ったりしたのちに京都に移り住んで風流を楽しむ生活を送っていたとされています。そういえば、信雄は能の名手として知られた人物でした。

そして、1630年(寛永7年)4月に京都の邸宅で亡くなりました。享年73歳でした。

織田信雄の子孫は信雄のように長く繁栄していき皇室にもつながっていきました。

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