朝倉義景の息子たち 溺愛した阿君丸と愛王丸!そして朝倉信景
大河ドラマ「麒麟がくる」では、2、3話前のストーリーだったかと思いますが、朝倉義景が嫡男だった阿君丸が亡くしてからやる気が無くなり云々というお話がありました。
朝倉義景の息子たちに興味を持ったので調べてみました。
朝倉義景には、三人の男子がいたようです。
もっといたかも?
生まれた順にすると上から阿君丸、愛王丸、朝倉信景になります。それぞれにスポットを当てて紹介していきますね。
阿君丸 毒殺疑惑のある嫡男
阿君丸の読み方ですが、「くまぎみまる」になります。
阿君丸は、朝倉義景の長男として永禄5年、西暦でいうと1562年に誕生しました。生母は、鞍谷嗣知の娘である小宰相という側室です。
朝倉義景の長男ということで、すぐに嫡男となりましたが永禄11年に亡くなりました。享年7才ということで父親の義景の嘆きは相当なものだったようでこれはドラマにも描かれていましたね。
阿君丸の死に関しては、ドラマの通り不審な点が多く毒殺の可能性が高いとされていますが、不明です。
愛王丸 生母・小少将共々溺愛されるが悲劇的な最期
愛王丸は、朝倉義景の次男になります。生母は、側室の小少将。
小少将に関しては、朝倉義景を紹介するページでもちらっと登場しますが、義景から非常に寵愛された女性であります。
愛王丸が生まれたのは、元亀元年(1570年)になります。阿君丸が亡くなって2年後に誕生した事もあり生まれてすぐに嫡男となります。そして、母と共に義景から溺愛されました。しかし、生まれて3年後に一乗谷城の戦いが起きて父が自害します。
愛王丸は、母・小少将と祖母・高徳院とともに織田方に捕えられて岐阜に送られる途中に織田信長の命を受けた丹羽長秀によって殺害されました。わずか3才?4才の短い一生でした。
朝倉信景 義景の末子で生き延びて僧になる
そして、最後に朝倉義景の末子である朝倉信景について紹介します。
朝倉信景は、元亀2年(1571年)に誕生しています。生母は伝わっていません。
朝倉家が滅亡したときに何とか難を逃れることが出来ました。そして、本願寺の法主である教如の弟子となります。それからずっと江戸に住んでいたようですね。
寛永5年(1628年)に遍立寺を建立して住職となりました。
亡くなったのが、承応元年(1652年)という事なので当時としては大往生の享年82才でした。
朝倉義景の息子たちは対照的な一生を送ったようですね。
ただ、朝倉信景は義景の子がどうか疑わしい点もあるらしいのですが、朝倉氏に近い人物であったのは間違いないとの事です。
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