井伊直政 徳川家康の寵臣で有名なイケメン武将!井伊直虎に育てられる
大河ドラマの登場人物ですが、今回は徳川家康の寵臣でありイケメンで知られた井伊直政を取り上げていきたいと思います。
井伊直政は、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」で柴咲コウが演じた女領主・井伊直虎が育て上げた元婚約者の息子であります。
「おんな城主 直虎」では、井伊直政を菅田将暉が演じていましたね。今回の「どうする家康」では、板垣李光人が井伊直政役を演じます。
それでは、井伊直政はどんな人生を送ったのか見ていきましょう。
井伊直政 徳川四天王として
井伊直政は永禄4年2月に遠江国祝田(現在の静岡県浜松市北区)で誕生しました。今川氏に仕えていた父・井伊直親と母・ひよの嫡男でした。幼名は「虎松」と言います。
直政は顔が整った青年で現代でもイケメン武将として有名ですね。史実でも井伊直政の美男ぶりが記されています。徳川家康に色んな意味で(?)寵愛されていました。
しかしその美しい容姿に反して、直政は厳格な性格としても知られ武力や外交力にも長けていたため「井伊の赤鬼」と呼ばれ恐れられていました。後に徳川二十八神将や徳川四天王として家康の天下取りになくてはならない武将となりました。
そんな井伊直政ですが、彼にも恐れる人物がいました。それは妻の唐梅院で直政はこの妻にだけは頭が上がらなかったと伝わります。
井伊直政 彦根藩の初代藩主になるまで
井伊直政は、天正3年(1575年)に浜松城下で徳川家康に見いだされました。そして、当時15歳で小姓として家康に仕えることになったのです。
その翌年の天正4年(1576年)、直政は徳川家康と武田勝頼が戦った芝原の戦いで初陣を飾りました。16歳ながら先鋒を務めあげ敵陣に突き進んで活躍したと言われています。
その後、天正10年(1582年)6月に起きた本能寺の変でも家康の伊賀越えに同行して活躍をみせます。又、北条氏と上杉氏との三つ巴の戦いとなる天正壬午の乱でも直政は家康のもとで大いに貢献しました。この戦では北条家との講和の使者を務めて外交能力の高さを見せます。これにより直政は調停役も任せられるようになったのです。
慶長5年(1600年)、豊臣秀吉が没してから2年後に関ヶ原の戦いが起こります。この時、直政は徳川家康率いる東軍の中心的存在として参戦しました。黒田長政を通して西軍の諸大名を東軍へと引き入れる政治的手腕を発揮したりと勝利へと導きます。こうして井伊直政は徳川家康の天下統一に大きく貢献したのです。
家康が名実ともに天下人となると井伊直政は、石田三成が治めていた近江国の佐和山(現在の滋賀県彦根市)18万石を与えられます。直政は、彦根藩の初代藩主として彦根城の築城に取り掛かるのです。
井伊直政の最期
井伊直政は、彦根城の完成を見届ける前に亡くなっています。
慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷が元でなくなったとされています。享年42歳という若さでした。
直政の死を徳川家康はいたく悲しみ、惜しんだといわれています。
その後、彦根城が築城すると30万石の彦根藩が誕生します。江戸時代を通じて井伊氏の彦根藩は大いに発展していく事になります。
関連記事
-
-
藤原璋子VS藤原得子
大河ドラマ「平清盛」第5回まで放送されました。 個人的な第5回の見所は、藤原璋子(待賢門院)と鳥羽
-
-
五徳姫の十二ヶ条の訴状とは?築山殿・松平信康との不仲原因
大河ドラマ「どうする家康」からの登場人物、紹介していそうでしていなかった五徳姫を今更ながら紹介したい
-
-
徳川国松(忠長)の生涯
徳川国松(忠長)の生涯 について。 江姫と徳川秀忠の次男で、徳川家光の弟である国松。 後の駿府藩
-
-
八田知家 鎌倉殿の13人のひとりで阿野全成を殺害した人物
鎌倉幕府で御家人たちが源頼家を抑える(?)ために結成された十三人の合議制の13名を紹介していきたいと
-
-
明智秀満 光秀の娘婿で信頼厚き家臣!ドラマ「敵は本能寺にあり」の主人公
朝ドラもですが、大河ドラマも新型コロナウイルスの影響で放送の一時中止が決定してしまいましたね。朝ドラ
-
-
高階貴子 百人一首に選ばれた当代きっての女流歌人!中宮・藤原定子の生母
今回、取り上げる人物は、藤原道長の長兄・藤原道隆の奥さんである高階貴子(たかしなのたかこ)です。出世
-
-
小見の方 濃姫の母で織田信長の義母、斎藤道三との夫婦仲は?
織田信長の正室、濃姫こと帰蝶の実母である小見の方にスポットを当てます。 2020大河ドラマ「麒