一条忠頼 武田信義の嫡男で源頼朝に粛清される最期
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で少ない出番ながらも気になった登場人物がいたので、取り上げたいと思います。その人物とは、一条忠頼です。
一条忠頼は、甲斐源氏の棟梁・武田信義の嫡男です。
「鎌倉殿の13人」では、前原滉が演じていました。ドラマの中で、武田信義への見せしめとして一条忠頼は粛清された印象が強かったのですが、実際の一条忠頼は本当にそのような悲劇的な最期を遂げたのでしょうか?
一条忠頼 武田信義の嫡男として
一条忠頼は、甲斐武田家の初代当主である武田信義の嫡男として生まれます。ただ、一条忠頼の通称は次郎でしたので庶子か早世した兄がいたのかもしれませんね。
ちなみに武田信玄は、甲斐武田家の19代当主に当たります。一条忠頼が殺害された為に家督は忠頼の弟・信光にうつるので、武田信玄は信光の嫡流ということになります。
一条忠頼が生きていたら武田信玄は家督を継いでいなかったかもですね。
一条忠頼は、武田信義の嫡男として有望だったようです。甲斐国の一条郷というところを領土支配していたので一条氏と名乗っていました。
父に伴い平家打倒の兵を挙げて源頼朝軍と合流して富士川の戦いで平家を破ります。その勢いで木曽義仲追討でも活躍をみせますが・・・。
駿河国まで勢力を伸ばした甲斐源氏の武田家を源頼朝は警戒します。そして、なかなか有能な嫡男の一条忠頼を亡き者にしようと企てるのです。
一条忠頼 源頼朝に誅殺される
源平合戦がひとまず平定して多くの遠征軍が鎌倉に帰ってきた矢先の1184年(元暦元年)の6月。鎌倉幕府の御所内にて酒宴が催されていて一条忠頼も招かれていました。
沢山の御家人がいる中で、一条忠頼は小山田有重や天野遠景によって殺害されました。これは源頼朝の命によるものです。
その勢力を恐れて相手を殺害するというやり方は、上総介広常の時と同じですね。権力を維持するためには仕方がないのかもしれませんが・・・。
大河ドラマでは、木曽義仲の嫡男・源義高を唆したことが殺害の理由の一つになっていましたが、これはほぼありえない事だと思われます。
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