三淵藤英役を演じるのは谷原章介!忠義に厚い足利将軍家の奉公衆
室町幕府の足利将軍家にて奉公衆の役職にあった三淵藤英。今回は、その実像に迫りたいと思います。大河ドラマ「麒麟がくる」での三淵藤英役は、谷原章介さんです。
さて、三淵藤英は細川藤孝(細川幽斎)と一緒に登場するシーンが多いです。それもそのはず、二人は異母兄弟であり三淵藤英が兄に当たります。
実直で忠義に厚い人物と知られた三淵藤英は一体、どんな生涯を送ったのでしょうか?
三淵藤英 室町幕府の奉公衆
三淵藤英(みつぶちふじひで)は、弟の細川藤孝と共に室町幕府の奉公衆の役職にありました。兄弟の父である三淵晴員も第12代将軍の足利義晴に仕えていたので、代々、幕臣として将軍家に仕える家柄だったのでしょうね。
三淵藤英と細川藤孝の名字が違うのは、三淵家の次男だった細川藤孝が細川家に養子に出されたからです。なので、兄弟の年齢が逆だったら細川家に養子に出されたのは藤英の方だったかもしれませんね。
養子に出されたと言っても三淵藤英と細川藤孝は兄弟です。大人になってからも同じ役職に就いていましたし兄弟はいつも近くにいたのではないしょうか?
しかし、この兄弟は、ある時を境に別々の道を歩むことになります。それは後ほど・・・。
三淵藤英 足利義昭を興福寺から助け出す
三淵藤英と細川藤孝は、第13代将軍の足利義輝に仕えていました。しかし、足利義輝が三好三人衆に暗殺される事件(永禄の変)が発生します。
新しい将軍を擁立しようと三淵藤英と細川藤孝は動き出します。当時、出家して興福寺に監禁されていた足利義昭を助け出し還俗させます。そして、三好三人衆の隙を見て越前の朝倉義景、更には尾張の織田信長を頼る事となります。
その後、織田信長の手を借りて足利義昭は無事に室町幕府の第15代将軍職に就くことに成功します。
三淵藤英は、新しい将軍の元でも忠義を尽くします。将軍・義昭は、そんな三淵藤英を信頼して山城国の伏見城を任せたりします。
三淵藤英と細川藤孝 兄弟の対立
ずっと共に手を取り合ってきた三淵藤英と細川藤孝ですが、兄弟の仲がついに壊れる時が来てしまいます。壊れるという表現はアレですが・・・。
その原因は、足利義昭と織田信長の対立です!
足利義昭と織田信長の仲も最初は良かったのですが・・・。
足利義昭と織田信長の対立で、三淵藤英は勿論、主君である足利義昭側につきます。一方、弟の細川藤孝はあろうことか主君を裏切って織田信長側についたのです。
細川藤孝の裏切りに三淵藤英は当然、激怒します。弟の居城を襲撃しようとしますが、失敗してしまいます。
やがて、足利義昭が挙兵して織田信長を討とうとしますが、結果は火を見るよりも明らかで信長の勝利で終わります。足利義昭側の武将たちが殆ど離反する中、三淵藤英の軍だけが最後まで残ったと伝わります。しかし、結局は二条城に籠っていたところ柴田勝家が説得をする形で三淵藤英も降伏を受け入れることになります。
三淵藤英と細川藤孝 兄弟の比較
ここで、兄・三淵藤英と弟・細川藤孝を比較してみましょう。
三淵藤英は、実直で忠義を尽くす人物ですが、その分、要領が悪いというか、その生涯や最期を知ると余計、もう少しうまく立ち回れなかったのかなぁと感じます。
一方、弟の細川藤孝は要領が良く戦国大名の中では晩年も悠々自適に過ごせたというし、畳の上で亡くなりました。天下人に乗り換えていくさまも見事というしかないですね。
三淵藤英と細川藤孝の生きざまの違いは、性格もあるかと思いますが、嫡子として育てられた長男と他家に養子に出された次男というのも影響大きそうですね。
でも細川藤孝は、追放された将軍・義昭の葬儀を行ったりもしているのでそこまで忠義がなかったわけではないのですが・・・。
三淵藤英の最期 謎の自害
幕府が事実上、滅亡したあと、三淵藤英はどうなったのかと言うと、織田信長のもとで細川藤孝と同様に家臣となります。
しかし、翌年に突然、信長に所領を没収されて明智光秀に預けられます。そして、嫡男の三淵秋豪とともに光秀の居城である坂本城で自害を命じられるのでした。
信長家臣になってから自害まで何があったのか史料もないようです。絶対に何かあったのだと思うのですが・・・。そして、明智光秀の預かりになって光秀の居城で自害するというのも意味不明です。
本能寺の変後、弟の細川藤孝が光秀の味方をしなかったのは、三淵藤英の自害が関係しているのかも、なんて思ってしまいました。
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