足利義輝 剣豪で知られる悲運の最期を遂げる足利13代将軍!
大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物という事で、今回は室町幕府の第13代将軍・足利義輝をクローズアップしたいと思います。
大河ドラマで足利義輝を演じているのは向井理です。
ドラマでの人物像や向井理が演じているからなのかとても繊細な将軍のイメージが強いです。実際の足利義輝はどんな人物なのか興味を持ったので調べてみました。
足利義輝 生まれながらの将軍
足利義輝は、第12代将軍だった足利義晴と御台所の間に生まれた嫡男でした。なので、生まれた時から将軍になることを約束された人物でした。
足利将軍家は、当時、管領の位にいた細川晴元と対立関係にあり戦いを強いられては破れ京から近江国に逃れたりを何度も繰り返していました。そのため、幼い義輝も父親達と一緒に逃避行を何度も経験しています。
そして、義輝が11歳の頃に父から将軍の座を譲られます。父である義晴は幼い将軍の後見になります。
足利義輝が将軍に就任してからは、細川晴元にかわって勢力を拡大していた晴元の家臣・三好長慶と対立を深めてしまいます。
三好長慶との戦いで将軍家の立場はますます弱くなり京から逃れを繰り返し京の治安も安定しないままでした。
足利義輝は戦国大名同士の仲介役に徹した
大河ドラマ「麒麟がくる」の第12回放送(十兵衛の嫁)分のストーリーで、織田家と今川家の和議に足利義輝が一役買った場面がありました。
当時、戦国大名同士が争ったときに仲介役だったのが足利義輝でした。
足利義輝は、室町幕府の権威復活を目指して度々、大名同士の争いを鎮めるため尽力しました。例えば、武田晴信と上杉謙信、島津貴久と大友義鎮、毛利元就と尼子晴久、松平元康と今川氏真などです。
幕府の権威を守るためとは言え争いを鎮めたのは将軍である足利義輝の功績の一つですよね。
足利義輝の最期と辞世の句
足利義輝は、父親が将軍の頃から常に京を追われたり舞い戻ったりしていて将軍としての政治力や功績に関してはあまりないのですが、剣豪だった事はよく知られています。
その武勇伝を伝えるのは哀しいことに足利義輝の最期だったりします。
義輝の最期は、自分達の意のままとなる足利将軍を擁立するために義輝を亡き者としたい松永久通(松永久秀の息子)と三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)により二条御所を襲撃されて殺害されてしまいました。いわゆる「永禄の変」です。
襲撃の際、足利義輝は自ら剣をふるって抵抗しましたが、多勢に無勢で殺害されたと言われています。
足利義輝は、当時、最高の剣豪として知られた塚原卜伝から直々に指導されるほどの腕前で、宣教師のルイス・フロイスからも大変優れた剣術者でとても勇気のある人物だったと評されています。
永禄の変では、足利義輝だけでなく義輝母で先代の御台所であった慶寿院(自害説あり)や側室で寵愛深い小侍従殿も一緒に殺害されているようです。
ちなみに足利義輝の辞世の句は「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」です。
この辞世の句の意味は、「目の前の五月雨は、自分の涙なのか?ホトトギスよ、私の名前を天国まで広めてほしい」だと思われます。
足利義輝を失った将軍家は?
武家の棟梁でもある足利義輝を暗殺した事により卑怯極まりない三好三人衆は、戦国大名だけでなく一般の庶民、更には天皇家にも憤慨され大きな怒りを買うことになります。
足利義輝亡き後に将軍家を継いだのは三好三人衆が擁立しようとしていた足利義栄です。しかし、足利義栄は病気により30才前後で亡くなり足利義昭(足利義輝の同母弟)が跡を継ぎましたが結局、織田信長に滅ぼされて15代続いた足利将軍家は滅亡してしまいました。
足利義栄と同様に足利義輝も30才前後で亡くなりましたが、足利義昭は室町幕府が滅んでからも60才位まで生きられたのは幸運だったかもしれませんね。
関連記事
-
-
阿野全成 今若丸の幼少名で知られる源義経の同母兄
以前、このサイトで妻の阿波局(実衣)を取り上げた事がありますが、夫の阿野全成はまだ取り上げていなかっ
-
-
北条時房 北条政子・義時の異母弟で鎌倉幕府の初代連署を務める
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の登場人物、最近は13人の御家人を紹介してきましたが、それ以外の人物・・
-
-
松平広忠は「どうする家康」の主人公・徳川家康の父!死因は病死と暗殺説があるが真相は?
大河ドラマ「どうする家康」の主人公・徳川家康の父親である松平広忠(まつだいらひろただ)を取り上げます
-
-
本多正信 三河一向一揆で徳川家康から出奔したが許される!
過去にNHK大河ドラマで数々の俳優が演じている本多正信ですが、今回の「どうする家康」では松山ケンイチ
-
-
於愛の方(西郷局)の死因は毒殺?心労による死?美人薄命の家康側室
徳川秀忠の生母であり徳川家康に寵愛されたという於愛の方(西郷局)を取り上げますね。大河ドラマ「どうす
-
-
藤原道綱母 蜻蛉日記の作者は本朝三大美人の一人!道長の父・藤原兼家の妾妻
藤原道長の父である藤原兼家には、嫡妻である時姫以外にも当然の如く妻がいました。有名どころでは、「蜻蛉
-
-
比企尼とは?源頼朝の乳母で伊豆に流された頼朝を長年助け続ける
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」から草笛光子演じる比企尼にスポットを当てていきますね。比企尼は源頼朝の乳
-
-
弘徽殿の女御・よしこは花山天皇に寵愛され過ぎて死去した?
忙しくて中々、大河ドラマ「光る君へ」を観れずにいたのですが、ようやく第5話の録画を見ることが出来まし