徳川国松(忠長)の生涯
徳川国松(忠長)の生涯 について。
江姫と徳川秀忠の次男で、徳川家光の弟である国松。
後の駿府藩主・徳川忠長の生涯について紹介します。
兄の家光と比較すると出来の良かった弟のようです。
容姿も良く学問や武術にも優れた才能をみせていて、
幼い頃から両親に溺愛されて育ちました。
幼少期は、竹千代(家光)派と国松(忠長)派で
時期、将軍跡継ぎをめぐる争いがあった。
そして、忠長は駿府藩主となり後に55万石の大名となる。
将軍の実弟と言う事もありそれにふさわしい待遇を受けた。
しかし、父の徳川秀忠か病に倒れると立場が危うくなる。
(この時、すでに母の江は亡くなっています。)
家臣を殺めたという理由だけで改易され領地を全て没収。
父の危篤にも目通りが許されなかった。
そして、幕命で自害を命じられる。
出来の良かった事がかえって災いとなったようです。
結局、両親が亡くなると29歳の若さで自害させられます。
悲劇的な最期を遂げた徳川忠長はなぜ自害させられたか?
忠長の権力が家光と対等だったため。
そして、兄の徳川家光と険悪な仲だったのも原因に
あげられています。両親の溺愛も理由にあげられる。
史実上は、忠長に子供はいません。
忠長の子と言うと、ドラマで有名な松平長七郎がいます。
残念ながら、架空の人物のようです。
徳川忠長の正室は、織田信良の娘である久姫(織田昌子)
江が強く願った縁組で、久姫10歳で嫁ぐ事になる。
夫が亡くなると、落飾して竹橋御殿に移り住む。
竹橋御殿は、千姫の屋敷ですね。
久姫は、78歳まで長生きしました。
関連記事
-
-
三淵藤英役を演じるのは谷原章介!忠義に厚い足利将軍家の奉公衆
室町幕府の足利将軍家にて奉公衆の役職にあった三淵藤英。今回は、その実像に迫りたいと思います。大河ドラ
-
-
保科幸松(保科正之)
保科幸松(保科正之) について。 2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が、 最終回を迎
-
-
静御前 源義経の愛妾!しづやしづの舞を披露した白拍子
先日、源義経の正室である郷御前(「鎌倉殿の13人」では里)を取り上げましたので、もう一人の妻である静
-
-
豊臣秀吉の姉・ともの悲劇!秀次亡き後は日秀尼と称して仏門に入る
大河ドラマ「どうする家康」も終わりましたが、登場人物の紹介は続きます。でも今回、紹介する人物は今回ド
-
-
松平昌久の裏切り 三河一向一揆で徳川家康から敵側に寝返った後はどうなる?
徳川家康の家臣・松平昌久(まつだいらまさひさ)を取り上げます。昌久は、主君・家康に付き従いながらも密
-
-
源頼家の正室はどちら?若狭局(せつ)と辻殿(つつじ)は御台所にならず
鎌倉幕府の2代将軍、源頼家の正室というか御台所は一体誰なのか? 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に
-
-
藤原道綱母 蜻蛉日記の作者は本朝三大美人の一人!道長の父・藤原兼家の妾妻
藤原道長の父である藤原兼家には、嫡妻である時姫以外にも当然の如く妻がいました。有名どころでは、「蜻蛉
-
-
源応尼 徳川家康の祖母で超絶美人!5度も嫁ぐが夫に先立たれる
はい、本日は、徳川家康の祖母である源応尼(華陽院)を取り上げますね。 大河ドラマ「麒麟がくる」
