於愛の方(西郷局)の死因は毒殺?心労による死?美人薄命の家康側室
徳川秀忠の生母であり徳川家康に寵愛されたという於愛の方(西郷局)を取り上げますね。大河ドラマ「どうする家康」では、広瀬アリスが演じている役柄です。
於愛の方は、非常に美しく穏やかな性格だと伝わります。家康だけでなく周りの人たちにも好かれるそんな女性だったそうですよ。
次期将軍を産んだ於愛の方は一体、どんな人生を送ったのでしょうか?
於愛の方の生涯
於愛の方は、1552年(天文21年)に戸塚忠春の娘として誕生しました。生母は、西郷正勝の娘とされています。
幼い頃に父と兄が戦で討ち死にしてしまったために母方の祖父にあたる西郷正勝を頼ることになります。そして、成長した於愛は正勝の嫡男の子にあたる西郷義勝の後妻となり1男1女を産みます。(正勝にとっては孫同士の結婚になりますね。)
しかし、この結婚もあっけなく終わってしまいます。義勝がまたしても戦で討ち死にしたからです。於愛が生んだ子は、まだ1歳にも満たなかったために家督を継ぐことが出来ず結局、於愛は母の再婚相手である藤正尚のもとに身を寄せる事となりました。
そこで於愛の方と家康が運命の出逢いをするのです!
於愛の方 徳川家康の側室になる
1578年(天正6年)に徳川家康が藤正尚の屋敷を訪れます。その時に於愛の方を見初めてそのまま浜松に連れ帰ってしまいました。そして、側室となり西郷局と呼ばれるようになりました。
1579年(天正7年)にのちの2代将軍・徳川秀忠を産みます。翌年には忠吉を産み男子を続けて二人産んだことでますます家康の寵愛深くなりました。
また、家康の正室だった築山殿が1579年に亡くなったことで、当時唯一家康に仕えていたこともあり於愛の方が正室のような立場だったと伝わります。
しかし、於愛の方は1589年(天正17年)に駿府で亡くなってしまいます。享年38歳とされています。一説には28歳死去説もあります。
秀忠は徳川2代将軍として有名ですが、弟の松平忠吉についてはあまり知られていないので補足しておきますね。
松平忠吉は、美男子で有名で戦でも活躍しましたが、享年28歳という若さで病死してしまいます。母に似たのかもしれませんね。この弟の死で兄の秀忠は凄く悲しんだと伝わっています。忠吉が父と兄に面会した数日後に息を引き取ったとの事でした。
於愛の方は目が悪い
於愛の方は、ド近眼であったらしく非常に目が悪かったと伝わります。ドラマでもそのような場面がありましたよね。
そのため盲目の女性を庇護していたらしく於愛の方が亡くなった際には、沢山の盲目の女性たちが彼女の死を悲しみ冥福を祈ったそうです。
於愛の方の死因
於愛の方は、美人薄命といいますか早くに亡くなってしまいます。そして、死因は不明とされています。
於愛の方の死因に関しては、様々な説があります。「家忠日記」には、喧嘩に巻き込まれて不慮の死を遂げたとありますし、また築山殿の侍女に毒殺された説まであります。
ドラマでの於愛の方の死因は、心労によるものでしたが、この説が多分一番可能性があるのかなぁと感じます。
関連記事
-
-
鳥居元忠 伏見城の戦いで壮絶な最期!徳川家康の忠臣で子孫も恩恵を受ける
大河ドラマ「どうする家康」で、鳥居元忠を演じるのは音尾琢真さんです。家康の数多くいる忠臣の中でも忠義
-
-
平明子 清盛の最初の妻
平明子さんは、あまり情報がないので とにかく探しまくりました(汗) 2012年NHK
-
-
三善康信 鎌倉殿の信頼厚い幕府の初代問注所執事!子孫が職を世襲
鎌倉殿の13人という事で、本日は三善康信(みよしやすのぶ)を取り上げます。 三善康信は、もとも
-
-
徳川将軍家 夫に冷遇された御台所
江は、徳川将軍家で唯一の次期将軍を生んだ御台所であり、夫からも大切にされた女性です。御台所の中では、
-
-
久松俊勝 徳川家康の母・於大の方の再婚相手!家康に激怒で隠居する?
徳川家康の義父にあたる久松俊勝を取り上げます。 大河ドラマ「どうする家康」では、リリー・フラン
-
-
足立遠元 13人の一人であり安達盛長とは年齢逆転した甥と叔父の関係
鎌倉殿の13人(鎌倉幕府、13人の合議制)を紹介という事で、今回取り上げますのは足立遠元(あだちとお
-
-
土田御前 大河ドラマで織田信長の母を演じるのは檀れい
大河ドラマ「麒麟がくる」で、帰蝶が織田家に嫁ぎました。 そのため、織田家の人物が登場するように
-
-
源義朝の常盤御前以外の側室
源頼朝・義経の父親である源義朝は、正室に由良御前と側室に常盤御前がいました。ドラマでもその二人しか登
-
-
藤原兼子 北条政子と関係深く後鳥羽上皇の乳母として権勢を奮う
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」から紹介する登場人物、久しぶりに朝廷から藤原兼子にスポットをあてていきた