鳥居忠吉 武士でありながら優れた経済感覚で徳川家康の財政面を支えた
久しぶりの更新ですが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物から鳥居忠吉にスポットをあてて紹介していきたいと思います。
鳥居忠吉も家康の古くからの家臣で、「どうする家康」ではイッセー尾形が演じています。
大河ドラマでは2023年も含め、数回しか登場していない人物です。1992年「信長 KING OF JIPANGU」にて滝田裕介が鳥居忠吉役をしていました。作品は見たものの残念ながら記憶には残っていません。
鳥居忠吉 徳川家康の祖父時代から仕える忠臣
鳥居忠吉は、生まれ年は不明とされています。ただし、1572年に亡くなったときの年齢が80歳前後とされている事から1492年前後の生まれと推測されています。
徳川家康が1543年生まれなので、約50才ほど年上となる鳥居忠吉は家康にとって家臣でありながら「爺や」的存在だった事でしょう。
鳥居忠吉は、三河国(今の愛知県岡崎市)にある渡城の城主・鳥居忠明の子として誕生しました。この一族は、もともと松平氏の家臣であり忠吉も家康の祖父である松平清康から広忠、家康と三代に渡って仕えています。
鳥居忠吉 徳川家康の厳しい財政を助ける
鳥居忠吉は、はじめ家康の祖父である松平清康に仕えていましたが、清康が亡くなると松平氏は今川氏の傘下に入りました。
そして、1549年に清康の子である広忠も亡くなると幼い主君の家康(当時は松平竹千代)が駿府で人質生活を送る事になります。
松平氏の居城である岡崎城の統治を担っていたのが鳥居忠吉でした。岡崎城は今川氏に管理されることになるのですが、忠吉は家康の帰還に備えて蓄財に励みます。
武士をしながらも川の水運を利用した船や馬などの商売も同時に行っていて、今川氏からの厳しい取り立ての中でもコツコツと富を蓄えていたとされます。
水運事業で財を成した上に倹約家でもあった鳥居忠吉は、家康が経済的危機に陥ったときに助けたとされ家康からとても感謝されたと伝わります。
それは、家康が桶狭間の戦いをきっかけに今川家からの独立を試みた際、財政面でバックアップした忠吉の功績はとにかく大きかったと思われます。徳川家康が天下を統一するための最初の足掛かりになったとも考えられますね。
鳥居忠吉 徳川家康の家臣となり戦でも功績を残す
鳥居忠吉は、財政面で主君・徳川家康を支えた一方で、戦でも功績を残しています。
今川氏の傘下にある時には武士として安祥城の侵攻にも参戦しており、織田信長の兄である織田信広を生け捕りにしたこともあります。
ただ、家康は生涯で数多くの合戦に参加していますが、岡崎城に帰還した時に忠吉はすでに老齢であったので、岡崎城の留守を守る役目を担っていました。
鳥居忠吉の最期とは?
鳥居忠吉の晩年は、岡崎城の留守を守って過ごしました。そして、1572年に80歳前後で亡くなったとされています。当時としてはかなり長命です。いや現代でも長生きです。
戦国時代を生きた武将として天寿を全う出来たのですから幸せな一生だったのではないでしょうか?
鳥居家の家督は、三男の鳥居元忠が継ぎました。忠吉の長男は戦死、次男は出家していたためです。鳥居元忠も徳川家康の忠臣として名高い武将でしたね。
関連記事
-
-
松永久秀は茶器を抱いて爆死した戦国三大梟雄の一人!大河では吉田鋼太郎がハマり役
大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物、第1話から気になる人物を挙げていきその生涯や人物像などを紹介して
-
-
大河ドラマ「どうする家康」で今川義元を演じるのは野村萬斎!桶狭間の戦いでの最期とは?
松本潤主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」が、満を期してスタートしました。 初回を見た限
-
-
藤原惟規 紫式部の弟は出来が悪い?紫式部日記から分かる姉弟の仲とは
紫式部の弟とされる藤原惟規(ふじわらののぶのり/これのぶ)を取り上げます。まだ、ドラマでは子供時代な
-
-
土岐頼純 帰蝶の最初の夫で美濃国の守護大名
第2話目の大河ドラマ「麒麟がくる」も面白かったですね。今回は、最終回まで楽しく観れそうです。
-
-
豊臣秀吉の妹 旭姫は夫と離縁させられて徳川家康の正室になる
大河ドラマ「どうする家康」の放送もあと残り2回ですかね?最終回は確か12月17日でしたね。みだ見てい
-
-
源義経の正室 郷御前は静御前と対立!?夫と共に平泉に逃れて悲劇の最期
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源義経が無尽の活躍をみせて平氏がいよいよ追い込まれていきます。
-
-
足利義輝 剣豪で知られる悲運の最期を遂げる足利13代将軍!
大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物という事で、今回は室町幕府の第13代将軍・足利義輝をクローズアップ
-
-
三善康信 鎌倉殿の信頼厚い幕府の初代問注所執事!子孫が職を世襲
鎌倉殿の13人という事で、本日は三善康信(みよしやすのぶ)を取り上げます。 三善康信は、もとも
