藤原兼子 北条政子と関係深く後鳥羽上皇の乳母として権勢を奮う
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」から紹介する登場人物、久しぶりに朝廷から藤原兼子にスポットをあてていきたいと思います。
藤原兼子の読み方は、「ふじわらのかねこ」です。
ドラマでは、シルビア・グラブが演じています。朝廷側の女人で影響力を持つ人物といえば後白河法皇の寵姫であった丹後局を思い出しますが、次の時世で権勢を奮ったのが藤原兼子になります。
藤原兼子 後鳥羽天皇の乳母
藤原兼子は、刑部卿であった藤原範兼の娘として1155年に誕生します。しかし、父・藤原範兼は兼子10歳の時に亡くなったため叔父の藤原範季に養育されたようです。
育ての親だった藤原範季は、後鳥羽天皇と関係が深かったこともあり兼子は姉の藤原範子と共に後鳥羽天皇の乳母として仕えたようです。後鳥羽天皇は、乳母の兼子をとても信頼していたらしく次第に朝廷での影響力を増していきます。
藤原兼子は、2度の結婚歴があり1度目は典侍になった45歳頃で権中納言の藤原宗頼と結婚しました。今でも晩婚ですが、当時では尚更のこと遅い結婚ですので兼子の権力のなせる業(?)でしょうか。宗頼が亡くなったあとも求婚が絶えず太政大臣の大炊御門頼実と2度目の結婚をしました。
朝廷で絶大な権力を持っていた藤原兼子ですが、実は外交面でも力を発揮しました。兼子は鎌倉幕府の尼将軍・北条政子とも関係が深かったのです。
藤原兼子と北条政子の関係性
大河ドラマでは、藤原兼子と北条政子が対立関係にあったという描かれ方をしていますが、実際は協力関係にあったようです。
まず、鎌倉幕府の3代将軍・源実朝の後継者選びのため上洛した北条政子が相談相手としたのは、他ならぬ藤原兼子でした。その時に政子は従三位になりましたが、これは兼子の推挙があったからでした。
その後、兼子が養育していた頼仁親王を次の鎌倉殿にする案を政子も賛成すると兼子の推挙でまたしても政子は従二位になりました。頼仁親王は父・後鳥羽上皇の反対に遭って結局、将軍になれませんでしたが・・・。
藤原兼子と北条政子の一連の行動から二人は対立した仲というより協力関係にあったのではないでしょうか?
藤原兼子の最期とは?
藤原兼子が北条政子と関係を深めていくと同時に、幕府と対立する後鳥羽上皇は絶大な信頼を寄せていた乳母の兼子を遠ざけるようになりました。
そして、後鳥羽上皇VS鎌倉幕府による承久の乱が起きて結局、朝廷側は大敗して後鳥羽上皇は配流の身となりました。兼子の身内も処刑される憂き目に遭いましたが、兼子はその後も京の都に留まったようです。
そして、承久の乱から8年後に75歳で亡くなりました。死因に繋がったのが頭部の腫瘍らしいので今でいう脳腫瘍でしょうかね?
晩年の藤原兼子は、延暦寺の僧と所領の件で争ったり強盗に蓄えを盗まれたりと散々な目にあったようです。それでも兼子は、沢山の財産を残していたらしく死後に修明門院に遺贈したとの事です。
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