織田信秀 ライバル・斎藤道三や息子・信長とは正反対の秩序ある武将
今日、紹介する大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物は、織田信長のお父さんである織田信秀です。
ドラマでは、高橋克典さんが演じています。意外でしたが、大河ドラマへの出演は初めてだそうです。なかなか良い味を出していますよね。
斎藤道三のライバルでもある織田信秀はどんな一生を送ったのか?
織田信秀の生涯について
織田信秀は、尾張国の勝幡城主である織田信定の嫡男として1510年に誕生しました。
信秀や信長を輩出した織田氏は、尾張国の守護代である織田氏の一族ではあったもののさらにその下の庶流で清洲三奉行の地位にありました。しかし、支配した領地が良かったこともあり交易などで財を成し勢力を拡大していきました。
18才で家督を譲られた織田信秀は、勢力拡大とともに那古野城、古渡城、末森城など次々と拠点となる城を転々としました。
国外の松平氏や今川氏などとも戦い西三河を支配していきます。
そんな信秀でしたが、ライバルが登場します。
それが美濃国の斎藤道三です。
美濃国の守護大名・土岐頼芸やその甥の土岐頼純を援護する形で斎藤道三と戦う事になります。有名なのが美濃攻めで油断してやられた「加納口の戦い」(大河ドラマの2話)などあります。
国外の敵と戦っていくうちに信秀は段々と勢いが無くなってきます。今川義元に西三河を奪還されたり離反もありで結局、斎藤道三と和睦を結びます。それが、信長と帰蝶の結婚につながります。
悪い事は重なるもので、勢いが無くなってきた織田信秀は、病にも倒れ享年42才で亡くなってしまいます。
そして、家督を継いだ信長が葬式で有名なアレをやってしまうのですね。父親の位牌に抹香を投げつけるという「うつけ」の行為です。
でも家臣など周りから大反対する中、信秀は信長を後継者としてただ一人認めていました。信秀と信長は誰よりも信頼し合って愛情があった親子関係だと思うのですがね。
ところで、織田信秀は尾張で絶大な権力を持つことになったのですが、主君である守護代や守護大名を滅ぼそうとしなかったのか疑問ですよね。
信秀のことを危ない奴だと守護代・織田氏や守護大名・斯波氏は絶対思ってるだろうし・・・。
しかし、そこの上下関係はきちんと守ったのが織田信秀でした。敵対したり争ったりもありましたが、絶対に粛清はしなかったそうです。・・・その分、信長が(汗)
下剋上を成し遂げた斎藤道三とは対極にいる感じですね。
「尾張の虎」と呼ばれた織田信秀は、秩序を守り国を守るために国外の敵と戦った武将の位置づけです。
関連記事
-
-
平宗盛の最期とは?平清盛の後継者で父と正反対の性格で家族思い!
今回は、平清盛の後継者である平宗盛(たいらのむねもり)を紹介していきます。大河ドラマ「鎌倉殿の13人
-
-
源行家 死神と言われた男の最期とは?源頼朝、源義経、源義仲の叔父
さて、本日取り上げるのは源頼朝・源義経・源義仲の叔父にあたる源行家(みなもとのゆきいえ)になります。
-
-
朝倉義景 織田信長に徹底マークされて滅んだ越前の守護大名
大河ドラマ「麒麟がくる」の越前編がスタートしましたね。新しい登場人物として、主人公の明智光秀が落ち延
-
-
鳥居忠吉 武士でありながら優れた経済感覚で徳川家康の財政面を支えた
久しぶりの更新ですが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物から鳥居忠吉にスポットをあてて紹介し
-
-
三淵藤英役を演じるのは谷原章介!忠義に厚い足利将軍家の奉公衆
室町幕府の足利将軍家にて奉公衆の役職にあった三淵藤英。今回は、その実像に迫りたいと思います。大河ドラ
-
-
藤原公任は藤原道長よりも名門出身の御曹司!紫式部や清少納言とも交流あり
大河ドラマ「光る君へ」で、町田啓太が演じる藤原公任(ふじわらのきんとう)にスポットをあててみますね。
