*

小松姫(稲姫) 本多忠勝の娘で真田信之の正室!才色兼備で男勝り?

戦国時代の姫たちの中でも人気が高い小松姫は、2023年の大河ドラマ「どうする家康」にも登場しています。ただし、稲姫という呼び名で鳴海唯が演じていました。

小松姫は、徳川家康のもとで数々の武功を挙げた徳川四天王の一人である本多忠勝の娘でありました。そして、結婚相手が真田信之(真田信幸)です。

才色兼備で夫が留守の間は城を守ったと伝わる小松姫。一体、彼女はどんな人生を歩んで行ったのでしょうか?

小松姫(稲姫) 本多忠勝の娘

小松姫は、1573年(天正元年)に本多忠勝の第一子として誕生しました。母は、忠勝の正室である於久の方説と側室・乙女の方説があります。乙女の方説が有力!

戦国時代の女性としては珍しく小松姫は、幼少時の名前が分かっています。幼少時は、於子亥(おねい)と呼ばれていました。その後、小松姫や稲姫と呼ばれるようになります。

大河ドラマ「どうする家康」で小松姫は「稲」という名前で呼ばれています。史実通りの呼び方だったようですね。ところで小松姫の由来は?

小松姫と呼ばれるようになったのは、真田信之に嫁いでからです。真田家で与えられた屋敷の庭に小さな松が植えられていたのが由来だそうです。

小松姫 真田信之の正室になる

小松姫は、1587年(天正15年)に真田昌幸の子である真田信之に正室として嫁ぎます。嫁入りした当時の年齢は、14歳でした。

一方、夫となる真田信之は1566年生まれなので小松姫より7歳上の21歳でした。すでに清音院殿という正室がいましたが、小松姫が嫁いだことにより側室に降格します。

小松姫と真田信之の結婚の背景には、徳川家康と真田昌幸による沼田の領地を巡る対立があってそれを解決させたのが家康の家臣だった本田忠勝の娘と真田昌幸の息子との縁組でした。この婚姻により真田昌幸は家康の与力大名となりました。

小松姫と真田信之の夫婦仲は良好でした。信之の子供のうち、長男である信吉以外の4人の子はすべて小松姫から生まれました。

小松姫の逸話エピソード

小松姫は、さすが本多忠勝の娘とあって様々な逸話が残されています。代表的なエピソードを紹介しておきますね。

小松姫の夫選び

小松姫は、徳川家康の養女として真田信之に嫁いだのですが、夫を選ぶ際の逸話が残されています。・・・この話の信憑性は?

徳川家康にも直接、意見を言ったといわれる小松姫ですが、はきはきとしゃべる男勝りで勝気な女性だと伝わります。そのため婿選びもそんな一面が垣間見れます。

家康が、小松姫に若い武将たちの中から相手を選ばせようとしました。小松姫は、並んで平伏せている一人ひとりの武将たちの「まげ」を掴んで顔を上げさせていきます。そして、信之の番になったところ彼は扇で小松姫の手を払いのけたのです。その対応に感心した小松姫は信之の妻になることを決めたのです。

舅から沼田を守った小松姫

天下分け目の関ケ原の合戦の際、真田家は共倒れを防ぐために信之は東軍、昌幸と信繁は西軍につきます。夫・信之が不在で沼田城は小松姫が守っていました。

その時に、孫の顔をみたいと沼田城にやってきた舅の真田昌幸が、そのまま城を奪還するのを見抜いた小松姫は、舅を城の中に一歩も入れさせませんでした。ですが、その後に別の屋敷で出迎えて孫と対面させた逸話が残っています。

その対応に真田昌幸は怒るどころか大いに褒め称えたと伝わります。

小松姫の最期

小松姫は、1620年(元和6年)に病気療養のため草津温泉に向かう途中で亡くなりました。武蔵国の鴻巣で亡くなったという説があります。享年48歳でした。

夫の真田信之は、小松姫のために上田城下に大英寺を建立しました。のちに移封された松代藩にも大英寺を移したというので亡妻への愛情が深いことが伺えますね。

ab

広告

関連記事

三善康信 鎌倉殿の信頼厚い幕府の初代問注所執事!子孫が職を世襲

鎌倉殿の13人という事で、本日は三善康信(みよしやすのぶ)を取り上げます。 三善康信は、もとも

記事を読む

豊臣秀吉の姉・ともの悲劇!秀次亡き後は日秀尼と称して仏門に入る

大河ドラマ「どうする家康」も終わりましたが、登場人物の紹介は続きます。でも今回、紹介する人物は今回ド

記事を読む

三条西実澄から細川藤孝への古今伝授!三条西家の公家としての家格は?

大河ドラマで気になる人物を紹介しています。今日、取り上げるのは石橋蓮司が演じている公家の三条西実澄で

記事を読む

穴山梅雪の最期が悲惨?正室の見性院は徳川家康の庇護を受け長生きする

まだ、続いてます~大河ドラマ「どうする家康」の登場人物紹介!武田家の家臣・穴山梅雪(穴山信君)を取り

記事を読む

2016年の大河ドラマの主人公 真田幸村

2016年の大河ドラマ「真田丸」が始まっていますが、主人公の真田幸村を取り上げていませんでした。

記事を読む

紫式部の母は殺された?藤原為信女(ちやは)の死因は藤原道兼に関係なし

先週スタートの新大河ドラマ「光る君へ」、初回の最後のシーンが衝撃的でしたね。 主人公のまひろ(

記事を読む

天崇院 勝姫

江姫と徳川秀忠の間に生まれた子供で、三女の勝姫を取り上げます。勝姫はひじょ~に気の強い女性だったとい

記事を読む

上総介広常の最期は源頼朝に裏切られる?

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、佐藤浩市が演じる上総介広常を今回は取り上げたいと思います。 坂

記事を読む

no image

安徳天皇の伝説

平清盛が溺愛したといわれる孫の安徳天皇について取り上げてみたいと思います。私の安徳天皇のイメージは、

記事を読む

徳川将軍家 夫に冷遇された御台所

江は、徳川将軍家で唯一の次期将軍を生んだ御台所であり、夫からも大切にされた女性です。御台所の中では、

記事を読む

ab

広告

ab

広告

藤原定子 夫・一条天皇に寵愛されたが実家の没落に見舞われた悲運の皇后

母の高階貴子や清少納言は取り上げたのですが、肝心の藤原定子を取り上げて

藤原宣孝 紫式部の夫で歳の差20歳以上?結婚生活は約3年で死別する

紫式部は、源氏物語という名作を世に出しましたが、当の本人は清少納言や和

清少納言と紫式部は犬猿の仲!?2度の結婚と藤原定子への宮仕え

紫式部のライバルとして名高い清少納言を取り上げます。 大河ドラマ

藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい

藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言っ

藤原実資とその妻・桐子の夫婦仲は?日記「小右記」は本当にあった

お笑いの「ロバート」秋山竜次が、大河ドラマ「光る君へ」で藤原実資を演じ

→もっと見る

PAGE TOP ↑