本多忠勝には正室・於久の方と側室・乙女の方がいる!娘・小松姫の母はどっち?
徳川家康の家臣団の中でも有名な武将と言えば、本多忠勝の名を挙げる方も多い事でしょう。本日は、徳川四天王や徳川十六神将、そして徳川三傑と称される本多忠勝を取り上げます。
本多忠勝を演じた役者
本多忠勝は、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」ではD-BOYSの加藤裕貴が演じていますが、NHK大河ドラマだけでも「春日局」の平泉成や「真田丸」の藤岡弘など9人の俳優が演じています。
そんな戦国ドラマの代表格である大河ドラマの中でも特に印象に残っているのは、2016年「真田丸」における藤岡弘です。
彼が演じた本多忠勝は、勇猛さもありながら婿娘の真田信之と共に真田親子の除名を嘆願するという深い懐や情を見せる場面が心を打ちました。勇猛ながらも慈悲の心も併せ持つ忠勝の人物の大きさを物語っていると感じました。
今年の大河ドラマ「どうする家康」でも山田裕貴がどう演じていくかが楽しみであります。
ドラマ以外にも本多忠勝は、仙石権兵衛秀久を主人公にした「センゴク」や島左近を主人公にした「SAKON -戦国風雲録-」など数多くの漫画にも登場しています。
勿論、小説にも登場していて作品も「家康の猛き者たち三方ヶ原合戦録」や「本多平八郎忠勝・家康軍団最強の武将」などがあります。
本多忠勝の生涯
本多忠勝は、現在の愛知県岡崎市にあたる三河国額田郡蔵前で誕生しました。1548年3月17日生まれです。
徳川家の譜代家臣である本田忠高と小夜(植村氏義の長女)の長男でしたが、忠勝が生まれた翌年に父・忠高が安祥城攻めで討ち死にしたために叔父の本多忠真に養育されたと伝わります。
本多忠勝は、5歳下の徳川家康に幼い頃から仕えており生涯をかけて支え続けた忠臣でした。50回以上の合戦に参加したといわれ、数々の武勲を立てています。
本多忠勝 徳川家康を支え続ける忠臣
本田忠勝の初陣は、1560年の桶狭間の戦いの前哨戦といわれた大高城兵糧入れになります。当時、13歳だった忠勝は敵に討ち取られそうになりますが、叔父の忠真に助けられました。そして、19歳で徳川家康直属となる旗本先手役に抜擢されます。
1570年に起きた徳川・織田連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した姉川の戦いでは、撤退寸前に追い込まれる中で徳川家康を守る為に単騎駆けを行い反撃のきっかけを作りました。又、豪傑で有名な真柄十郎左衛門と一騎打ちした事でも名を挙げました。
その後も1572年二俣城の戦い、1575年長篠の戦い、1580年高天神城の戦い、1584年小牧長久手の戦い、1600年関ヶ原の戦いなど数々の合戦に参加して武勲を立て、徳川最強の武将と呼ばれるようになります。
本多忠勝と徳川家康の伊賀越え
本田忠勝は数々の武勇を立てていますが、その功績は合戦の場だけには留まりません。本能寺の変が起きた時、徳川家康に伊賀越えをさせたことでも知られています。
明智光秀の謀反によって同盟を結んでいた織田信長が討たれた時、家康は堺に滞在していました。明智光秀は家康も討とうとし、三河までの道を見張らせていたといいます。その際、家康はわずかな手勢しかいませんでした。
窮地に追い込まれた家康は信長の後を追って自害することを考えたのですが、それを諫めたのが本田忠勝でした。わずかな手勢を連れて伊賀越えを行い、無事に三河に帰国することができたのです。
もし、この時家康が自害していたら、日本の歴史は全く違ったものになってたはずです。
本多忠勝の正室と側室
本多忠勝の家族を紹介していきたいのですが、有名どころは娘の小松姫でしょうか?
その前に、本多忠勝の妻を紹介しますね。
正室は、1569年に結婚した於久の方です。於久の方は、能見松平一族である松平重吉の長男とされる阿知和玄鉄の娘です。
於久の方の産んだ子供に長女・小松姫、次女・もり姫、長男・忠政、次男・忠朝がいます。小松姫は、信濃上田藩の初代藩主にして真田幸昌の長男・真田信之の正室となっています。
そして、忠勝には乙女の方という側室がいました。乙女の方は、松平家の家臣である松下弥一の娘で忠勝が兵法を習いに行った場所で見初めたようです。乙女の方が産んだ子供は姫が3人です。実は小松姫は、乙女の方が母だという説の方が有力だそうです。
本多忠勝の最期
本田忠勝は天下分け目といわれる関ケ原の戦いで軍監を務めました。そして、自ら手勢を率いて首級をあげるなど武勲を立てました。
その功績により伊勢桑名10万石を与えられ、それ以後は藩政の確立に取り組んだと伝わります。桑名城を築城した後は城下町や宿場の整備などを行い桑名の名君と呼ばれるようになりました。
その後、眼病を患い家督を嫡男の本田忠政に譲って隠居します。勿論、主君の家康からは慰留されたようです。そして、1610年に桑名で亡くなりました。享年63才でした。
忠勝は、亡くなる数日前に小刀で作業中に手元が狂いかすり傷を負いました。「忠勝も傷を負ったら終わりだな」とつぶやいたそうで数日後本当に亡くなったそうです。もしかしたら死期を悟っていたのかもしれませんね。
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