藤原道綱母 蜻蛉日記の作者は本朝三大美人の一人!道長の父・藤原兼家の妾妻
藤原道長の父である藤原兼家には、嫡妻である時姫以外にも当然の如く妻がいました。有名どころでは、「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母がいます。
「蜻蛉日記」は、女流日記の先駆け的な存在の作品です。この作品は、のちに紫式部が描いた「源氏物語」など沢山の作品に影響を与えたと伝わります。
大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道綱の母(藤原寧子)役は財前直見です。そして、藤原道綱役は上地雄輔が演じています。
藤原道綱の母と藤原兼家の結婚
藤原道綱母の名が示すように「蜻蛉日記」作者の本当の名前は分かっていません。判明している事は、藤原兼家と結婚して藤原道綱が生まれた事です。
そして、彼女は本朝三大美人の一人として数えられるほどの美貌の持ち主でした。他の2人は、衣通姫と光明皇后です。和歌の才能にも恵まれた超美人という事でまわりが放っておきませんね。
藤原道綱の母は、954年(天暦8年)に藤原兼家に(多分)見初められて結婚しました。そして、翌年に息子の道綱が誕生しました。しかし、子供が一人しか誕生せず旦那とは上手くいってなかった形跡もあります。そのことは「蜻蛉日記」にも切々と描かれています。
藤原道綱母が作者の「蜻蛉日記」
藤原道綱の母が描いた「蜻蛉日記」は、彼女が藤原兼家と結婚した954年から始まっています。974年までの約20年間もの長い期間の出来事が書かれています。
気になる内容は・・・夫・藤原兼家との結婚生活がメインです。ライバルにもなる兼家の嫡妻・時姫への複雑な嫉妬心、夫の女性関係などの悩みなども綴っていて夫婦関係は今も昔も変わらないんだなぁという印象を受けます。
勿論、一人息子の藤原道綱に関する話も沢山出てくるようです。「蜻蛉日記」にはおっとりとした性格でおとなしいという記述があります。道綱は、一説によると父や道長たち腹違いの兄弟たちと違ってあまり出来るタイプの人間ではなかったようです。
また、ライバル時姫が生んだ子供たち(道隆・道兼・道長)は順調に昇進していきますが、道綱はなかなか出世していきません。これは正室から生まれた子と妾から生まれた子の差でもありますが、藤原道綱母にとっては悔しい気持ちだったことでしょう。
息子がイマイチでも夫の愛情があれば救われるのですが、藤原道綱母のもとに通う回数も減っていき寂しい晩年だったようです。
類まれな美人で和歌の才能もあり「蜻蛉日記」という名作を残した藤原道綱母でしたが、その一生は決して幸せなものではなかったのかもしれませんね。
関連記事
-
-
高階貴子 百人一首に選ばれた当代きっての女流歌人!中宮・藤原定子の生母
今回、取り上げる人物は、藤原道長の長兄・藤原道隆の奥さんである高階貴子(たかしなのたかこ)です。出世
-
-
江が溺愛した徳川忠長の子供はあの松平長七郎!?
徳川家光の弟で、家光よりも出来が良く、江が溺愛したとされる徳川忠長。 最期は、家光の邪魔となり28
-
-
源応尼 徳川家康の祖母で超絶美人!5度も嫁ぐが夫に先立たれる
はい、本日は、徳川家康の祖母である源応尼(華陽院)を取り上げますね。 大河ドラマ「麒麟がくる」
-
-
藤原道兼 七日関白と呼ばれた藤原道長の兄!大河ドラマ「光る君へ」の悪役
NHK大河ドラマ「光る君へ」の初回放送で、ある意味強烈なインパクトを残した藤原道兼(ふじわらのみちか
-
-
五徳姫の十二ヶ条の訴状とは?築山殿・松平信康との不仲原因
大河ドラマ「どうする家康」からの登場人物、紹介していそうでしていなかった五徳姫を今更ながら紹介したい
-
-
鳥居忠吉 武士でありながら優れた経済感覚で徳川家康の財政面を支えた
久しぶりの更新ですが、NHK大河ドラマ「どうする家康」の登場人物から鳥居忠吉にスポットをあてて紹介し
-
-
太原雪斎 今川義元の軍師で徳川家康の教育係?桶狭間の戦いまでの寿命
本日は、今川義元の軍師として名高い太原雪斎(たいげんせっさい)を取り上げたいと思います。大河ドラマ「