*

大河ドラマ「どうする家康」で今川義元を演じるのは野村萬斎!桶狭間の戦いでの最期とは?

松本潤主演の2023年大河ドラマ「どうする家康」が、満を期してスタートしました。

初回を見た限りでは、とてもコミカルな作品になっていてドラマタイトル「どうする家康」を地でいってる感じがしました。有村架純演じる瀬名(築山殿)の悲劇ではどんな描かれ方をするのかが今から気になっています。

それでは、「どうする家康」の中で登場する歴史上の人物という事で、トップバッターは有名な武将にしたいので今川義元を取り上げますね。

大河ドラマ「どうする家康」の今川義元役は野村萬斎

大河ドラマ「どうする家康」では、今川義元を野村萬斎が演じています。能を演じる場面があり、公家好みの義元らしさを表現していました。このあたりは、さすが能楽師です。

その他、記憶の新しいところでは2020年大河ドラマ「麒麟がくる」では、歌舞伎役者の片岡愛之助が演じていましたね。

その他、中村勘三郎、成田三樹夫、江守徹、谷原章介、春風亭昇太が過去の大河ドラマで今川義元役でした。印象に残っているのは春風亭昇太で厚化粧をして京の貴族の様な話口調で演じている様が実に滑稽でありました。

今川義元はただの公家好きじゃない!

それでは、今川義元についてどんな人物だったのか紹介していきますね。

今川義元は、駿河(今の静岡県)にて永禄16年(1519年に)に戦国大名である今川氏親の三男として生まれました。母は氏親の正室だった寿桂尼ですが、実は側室の子で寿桂尼の養子となった説もあるそうです。

家督争いを避けるため4歳で仏門に入りますが、兄の今川氏輝、彦五郎が相次いで急死したために還俗して今川義元と名乗り今川家の家督を相続することになります。

今川家11代目当主としてその座につきたあとは、遠江、駿河、三河の三国を収める大名になり東海一の弓取りと言われるほどの勢力に今川家の勢力を拡大しました。また、武田信玄や関東の北条氏と領地を巡り小競り合いを繰り返しますが、世に言う三国同盟を北条氏と武田氏と行い、いよいよ天下へ号令する為京都へ上洛を目指したのです。

桶狭間の敗戦やお歯黒のイメージで誤解されやすい人物ですが、知略に長けたとても優れた策略家であったのは事実です。

ただ、武芸は得意ではなく、お歯黒をして京都の文化を愛して蹴鞠を好んでいたのは有名ですね。公家文化に精通し、公家風の化粧をして、移動の時は馬に乗らず駕籠に乗っていたと伝わります。

ちなみに、妻は武田信虎の娘である定恵院です。という事は、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟に当たりますね。

今川義元と花倉の乱

今川義元が正当な今川家の当主と認められたのは、天文5年(1536年)に起きた今川家の内紛、いわゆる花倉の乱がきっかけです。

花倉の乱は、今川家の家督相続を巡って今川義元打倒を目指した今川家の家臣が起こした反乱でした。義元の側近(幼少期に世話になっていた大原雪斎など)の活躍もあってこの反乱を正式に鎮圧して名実ともに今川家の当主として歩み始めました。

そして、翌年の天文6年(1537年)に武田氏と甲駿同盟を結びます。武田信虎の娘である定恵院と結婚したのはこの時です。

1548年の第二次小豆坂の戦いでの大勝などもあり花倉の乱をきっかけに今川氏の勢力拡大や支配を強める事となりました。

今川義元と甲相駿同盟

今川義元は、天文23年(1554年)に武田信玄や北条氏康と甲相駿同盟を結びました。

甲相駿同盟は、今川義元の娘が武田信玄の息子に嫁ぎ、武田信玄の娘が北条氏康に嫁ぎ、北条氏康の娘が今川義元に嫁ぐという姻戚関係によって結ばれた同盟です。

これにより、自らの国の守りを固める一方で天下統一に向けて京都へ向かうことになりました。これがやがて桶狭間の戦いに繋がっていくのです。

今川義元と桶狭間の戦い

今川義元と言えば、桶狭間の戦いが彼の最大の戦いでありクライマックスです。

永禄3年(1560年)、今川義元は京都へ上洛すべく2万五千の大軍を率いて西へ向かいます。その際に尾張の国を治める織田信長を手始めに潰すべく攻撃をしかけます。

織田信長の父、織田信秀の頃より、今川義元と織田家は領地を巡って何度も合戦をしています。今度こそ尾張を攻略するはずでしたが、桶狭間で休息中に織田信長率いる奇襲部隊に攻撃されて心ざし半ばで討ち死にしています。

当時の勢力として、今川義元VS織田信長ならどうみても今川軍の大勝利と誰もが思っていた事でしょう。しかし、結果は今川軍の敗戦に終わりました。今川義元は、大軍をもって一気に踏みつぶせるとした油断によりまさかの負けを喫し、討死となったのです。

検証桶狭間。敵将・今川義元は信長を高く評価し、背水の陣で決戦に臨んでいた!

今川義元の最期

今川義元は、永禄3年(1560年)に尾張の国へ侵攻の途中、桶狭間で休憩しているところを織田信長に急襲されて命を落としました。

桶狭間の戦いでは、今川軍は順調に織田家が築いた砦を攻略していきました。しかし、織田領内の城を攻略する途中で、桶狭間山で休息をとってしまいました。

一説によると今川義元は足が短く、馬にまたがることができなかったので、戦の時も駕籠で移動していたとのこと。馬での移動に比べると駕籠は移動速度が遅く、そのため桶狭間で休憩していたとも伝わります。

そして、織田信長の奇襲攻撃を受けてしまいます。奇襲された時に、豪雨であり視界が悪かった事もあり、今川方は大混乱となりました。義元は退却をしようとしましたが、信長の親衛隊に退却の最中に発見されてしまいます。

そして義元は織田家家臣の毛利良勝によって討ち取られました。享年42歳でした。

死後、残存した今川軍の兵士によって連れ帰ろうとされたが、想像以上に腐敗が早く三河国宝飯群に埋葬されたそうです。

その後、名門・今川家は息子の今川氏真が当主の座を引き継ぎますが、武田信玄が三国同盟を破って今川領地へ侵攻。今川義元の死後たった9年で今川家は滅亡する憂き目に遭います。

そして、その戦いによりのちの天下人、徳川家康が人質から解放され独立する事に繋がりました。


<今川義元と戦国時代>今川家の屋台骨 太原雪斎と岡部元信

ab

広告

関連記事

no image

安徳天皇の伝説

平清盛が溺愛したといわれる孫の安徳天皇について取り上げてみたいと思います。私の安徳天皇のイメージは、

記事を読む

江 初 茶々 浅井三姉妹

江 初 茶々 浅井三姉妹について。 浅井長政とお市の方の間に生まれた茶々、初、江。 通称『浅井三

記事を読む

大野治長と大蔵卿局

大野治長と大蔵卿局 の親子を取り上げます。 大河ドラマ「江」での大野治長は、武田真治が演じています

記事を読む

大政所 豊臣秀吉の母なかの生涯について!嫁の北政所ねねとの嫁姑仲は?

豊臣秀吉や豊臣秀長、そして旭姫の母である大政所を取り上げますね。 大政所の呼び方は、「おおまん

記事を読む

no image

祇王祇女と仏御前

平清盛の寵愛をうけた白拍子ということで、ドラマにも登場した祇王祇女、そして仏御前について取り上げたい

記事を読む

藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい

藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言って大河ドラマ「光る君へ」では、

記事を読む

松永久秀は茶器を抱いて爆死した戦国三大梟雄の一人!大河では吉田鋼太郎がハマり役

大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物、第1話から気になる人物を挙げていきその生涯や人物像などを紹介して

記事を読む

大久保忠世 どうする家康では小手伸也が演じる!徳川十六神将のひとり

今年の大河ドラマ「どうする家康」の登場人物ですが、当サイトでは家康の家臣を中心に紹介しています。

記事を読む

渋沢市郎右衛門 渋沢栄一の父の生涯について!実はお婿さん

渋沢栄一の父である渋沢市郎右衛門を取り上げたいと思います。 大河ドラマ「青天を衝け」では、小林

記事を読む

円融天皇の愛妻は詮子・遵子ではなく最初の中宮・藤原媓子だった!?

大河ドラマ「光る君へ」に登場する人物という事で、第64代天皇である円融天皇(えんゆうてんのう)を取り

記事を読む

ab

広告

ab

広告

藤原定子 夫・一条天皇に寵愛されたが実家の没落に見舞われた悲運の皇后

母の高階貴子や清少納言は取り上げたのですが、肝心の藤原定子を取り上げて

藤原宣孝 紫式部の夫で歳の差20歳以上?結婚生活は約3年で死別する

紫式部は、源氏物語という名作を世に出しましたが、当の本人は清少納言や和

清少納言と紫式部は犬猿の仲!?2度の結婚と藤原定子への宮仕え

紫式部のライバルとして名高い清少納言を取り上げます。 大河ドラマ

藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい

藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言っ

藤原実資とその妻・桐子の夫婦仲は?日記「小右記」は本当にあった

お笑いの「ロバート」秋山竜次が、大河ドラマ「光る君へ」で藤原実資を演じ

→もっと見る

PAGE TOP ↑