藤原秀衡の正室が義理の息子・藤原国衡に再嫁する!?マジ話でした
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」先週の第20回放送で気になる場面がありました。
その場面というのは、奥州藤原氏の全盛期を築いた藤原秀衡が亡くなって息子に遺言を託すシーンです。遺言の一つに自分の妻を息子に娶らせるというのがありました。
昔は、戦死した兄の嫁を弟が娶るのはよく聞くのですが、父の妻を息子に娶らせると言うのはあまり聞いた事がありません。史実はどうなったのか早速、調べてみました。
藤原秀衡の正室 義理の息子・藤原国衡に嫁ぐ
はじめに結論から言いますと史実通りでした!
藤原秀衡の正室は、公家の藤原基成の娘で秀衡の後妻として嫁ぎました。そして、秀衡の次男・藤原泰衡を産んでいます。
藤原秀衡には、すでに長男の藤原国衡がいましたが、正室腹ではなかったため庶子として扱われ嫡子の座は弟の泰衡のものとなっていました。そのため兄弟仲があまり良くないとされています。
その兄弟の亀裂がやがて源頼朝の知るところとなり奥州藤原氏の分裂を招くのではないかと危機を感じた兄弟の父・藤原秀衡は、自分の死後に兄弟仲を修復(?)させるために自分の妻を国衡に嫁がせようと考えたようです。
藤原国衡が妻として父の正室を娶れば、泰衡とも義理の父子関係が成立します。また、未亡人になった秀衡の正室は後家としてもまだまだ強い発言力がありました。国衡の立場も強くしつつ泰衡もうかつに手を出せない関係となりました。
父の妻を息子が娶るという事で、秀衡の正室はまだ若いのかと思いましたが国衡と泰衡はそれ程年齢が離れていないようなので若くはなかったですね。やはり秀衡の正室と国衡の関係は、形だけの夫婦だったのでしょう。
奥州藤原氏は、やがて源頼朝に滅ぼされてしまい国衡も泰衡も討ち死にします。藤原秀衡の正室は、その後どうなったのか気になりますね。
藤原秀衡と藤原基成の娘の結婚
話を遡って藤原秀衡と正室である藤原基成の娘が結婚した経緯を紹介しておきますね。
藤原秀衡の父である藤原氏2代目当主・藤原基衡の時代の話になります。公家の藤原基成が陸奥守となり平泉に下向してきました。
その際、藤原基衡と藤原基成は親交を深めていったそうです。藤原基成は、一族に関白になるものがいたりと朝廷と深い結びつきがあり奥州藤原氏としてもこの公家と仲良くなることは願ってもない事だったようです。
一方、藤原基成としても豊富な財力があり勢いがある奥州藤原氏との繋がりは大事にしたいところだったと思われます。より強固な繋がりを求め自分たちの息子と娘を婚姻させるに至りました。それが、藤原基衡の息子(秀衡)と藤原基成の娘の結婚でした。
藤原基成は、その後に平治の乱で身内の縁座に巻き込まれ陸奥に流されてしまいます。しかし、秀衡の義理の父として衣川館に住んで奥州藤原氏の政にも大きな影響を与えたと言われています。
ちなみに源義経の母・常盤御前がのちに結婚した一条長成も基成の身内で義経が奥州に逃れられたのも基成の口利きだったようです。
関連記事
-
-
酒井忠次 徳川四天王の筆頭で家康の叔父!海老すくいが得意で盛り上げ上手?
今回は、徳川四天王の筆頭であり徳川家康の第一の家臣と言われる酒井忠次(さかいただつぐ)にスポットを当
-
-
大奥で権力を握った「右衛門佐」
電撃結婚して驚いた菅野美穂と堺雅人が主演した話題の映画「大奥~永遠~ 」から右衛門佐(映画では、堺雅
-
-
藤原道綱母 蜻蛉日記の作者は本朝三大美人の一人!道長の父・藤原兼家の妾妻
藤原道長の父である藤原兼家には、嫡妻である時姫以外にも当然の如く妻がいました。有名どころでは、「蜻蛉
-
-
森蘭丸 兄弟 について
森蘭丸 兄弟 について。 織田信長の小姓で、男色の相手とも言われる森蘭丸。 男でありながら女性の
-
-
鳥居元忠 伏見城の戦いで壮絶な最期!徳川家康の忠臣で子孫も恩恵を受ける
大河ドラマ「どうする家康」で、鳥居元忠を演じるのは音尾琢真さんです。家康の数多くいる忠臣の中でも忠義
-
-
足利義輝 剣豪で知られる悲運の最期を遂げる足利13代将軍!
大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物という事で、今回は室町幕府の第13代将軍・足利義輝をクローズアップ
-
-
藤原兼子 北条政子と関係深く後鳥羽上皇の乳母として権勢を奮う
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」から紹介する登場人物、久しぶりに朝廷から藤原兼子にスポットをあてていきた
-
-
赤染衛門 凰稀かなめ演じる女流歌人!紫式部や和泉式部との仲は?
藤原道長の妻・源倫子に仕えていた赤染衛門を取り上げます。読み方は「あかぞめえもん」です。大河ドラマ「