藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい
藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言って大河ドラマ「光る君へ」では、瀧内公美さんが演じている役ですね。
身分的には高貴な血筋の源明子(明子女王)ですが、ライバル的な存在の源倫子とは大きな格差が生まれてしまいました。
ここでは、源明子の出生や道長との結婚、そして源倫子との関係などを中心に紹介していきたいと思います。
源明子について
源明子は、965年(康保2年)に右大臣である源高明の娘として誕生しました。
父の源高明は、臣籍降下して源姓を名乗っていましたが、醍醐天皇の第10皇子でもありました。なので、父が臣籍降下しなかったら源明子は女王の身分でしたね。
父の源高明は身分が高い上に人徳者で学問に秀でていたらしくその事を面白くないと思っていたのが藤原氏でした。高明の権力が朝廷でこれ以上大きくなることを恐れた藤原氏は、策謀により高明を失脚させることに成功します。(安和の変)
父の失脚後、明子は叔父にあたる源盛明(盛明親王)の養女になります。そして、986年(寛和2年)に叔父が亡くなるとその2年後の988年(永延2年)に藤原道長と結婚する事になります。明子は叔父が亡くなってから道長の姉・詮子のところに身を寄せたのでその縁から結婚に繋がった?
源明子と藤原道長の結婚
源明子と藤原道長の結婚は、道長が源倫子と結婚した翌年になります。一説には、明子の方が少し早く結婚したという説もあるらしいです。
しかし、源倫子の方が嫡妻であることは疑いのない事実のようです。その理由は、道長が倫子の実家である土御門殿に婿の形で住まいを移したことと倫子の産んだ子供たちが明子の子供たちより大出世しているからです。
源明子は、高貴な身分でも実父は失脚していて後ろ盾がない状態でした。それに比べて源倫子の後ろには左大臣の父・源雅信がついています。
それでも源明子は、藤原道長のもう一人の妻として4男3女を儲けました。時の権力者の妻として何不自由ない生活を送ったのではないでしょうか?
道長の妻 源明子vs源倫子
藤原道長の妻二人は、どちらも源姓を名乗っていますが、同じ一族ではないようです。
源倫子は、宇多天皇の流れを組む宇多源氏の出身です。一方、源明子は醍醐天皇の流れを組む醍醐源氏の出身になります。ちなみに醍醐天皇は、宇多天皇の長男であります。まぁどちらにせよ二人の妻は高貴な血筋であることは間違いないですね。
ところで、藤原道長の子供たちの出世は、倫子所生と明子所生では大きな格差があったことは倫子が嫡妻である証でもあります。倫子が生んだ子たちは、次々と関白や中宮になっていますが、明子が生んだ子たちは、そこまで出世出来ませんでした。
しかし、ずっと後のことになりますが、明子の子孫たちは新古今和歌集や小倉百人一首の撰者として知られる藤原定家をはじめとした著名な文化人を多く輩出しています。
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