*

西郡の局 徳川家康の娶ったはじめての側室で督姫の母

スポンサーリンク

徳川家康のはじめての側室と伝わる西郡の局(にしのこおりのつぼね)は、大河ドラマ「どうする家康」で北香那が演じています。ドラマでは、お葉と呼ばれていますね。

2000年の大河ドラマ「葵 徳川三代」では、岩本多代が西郡の局を演じていました。

西郡の局とはどのような人物なのか紹介していきます。

西郡の局とは?

西郡の局は、1548年(所説あり)に加藤義広の娘として誕生しました。その後、今川家に仕えた鵜殿長忠の養女になりました。加藤氏は鵜殿氏とは従属関係にあった家柄です。

西郡の局が家康の側室になった時期は、家康への人質となって差し出された1560年頃から娘の督姫が生まれる1565年の間だと推測されます。西郡の局が家康のもとに嫁いだ年齢は、15歳前後から10代後半にかけてになりますね。

西郡の局が生んだ督姫は、家康にとって次女になります。督姫は、後に北条氏直と池田輝政に嫁ぎました。

西郡の局と桶狭間の戦い

織田信長が今川義元を討ち破った1560年の桶狭間の戦いは、西郡の局にも大きな影響を与えました。

今川義元が討死した事がきっけで徳川家康は、今川氏から独立しました。その後、家康は東三河のまとめ役であった鵜殿氏を打ち取ります。そして、敗北した鵜殿氏側の人質として西郡の局が家康側に差し出されました。

鵜殿出身の西郡の局の存在は、三河の安定に一役買ったのです。

西郡の局の最期とは?

西郡の局は、豊臣秀吉の治世に夫となる徳川家康に従い1599年に江戸から伏見に移住しています。そして、7年後の1606年に伏見城で急死しています。享年58歳?

西郡の局と全く同じ日に榊原康政も亡くなっており当時の人々がこれを不思議に思ったという話が伝わっています。

鵜殿氏の菩提寺の長応寺ですが、一度焼失しますが彼女が寄進をして江戸の長応寺(日比谷公園近く)に復興しています。

ただ、彼女は長応寺には眠っておらず京都の本禅寺から青蓮寺に回葬され、更には墓所を兵庫県宍粟市に移しました。

スポンサーリンク

関連記事

保科幸松(保科正之)

保科幸松(保科正之) について。 2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が、 最終回を迎

記事を読む

於大の方 徳川家康の母で実子に対しては非常に愛情深い女性

大河ドラマ「麒麟がくる」の登場人物を紹介しております。 今回は、竹千代(後の徳川家康)の生母で

記事を読む

土田御前 大河ドラマで織田信長の母を演じるのは檀れい

大河ドラマ「麒麟がくる」で、帰蝶が織田家に嫁ぎました。 そのため、織田家の人物が登場するように

記事を読む

no image

堀河局と佐藤義清

待賢門院の侍女である堀河局と待賢門院に想いを寄せる佐藤義清。 第6回放送では、堀河局と佐藤義清が

記事を読む

土岐頼芸 鷹の絵を得意とする美濃の守護大名で斎藤道三に追放される

大河ドラマ「麒麟がくる」で、尾美としのりが演じていた土岐頼芸を取り上げます。 今年の大河ドラマ

記事を読む

石川数正の出奔の原因となる説とは?長野県・松本城の築城について

2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、俳優の松重豊が演じている石川数正にスポットを当てたいと思い

記事を読む

平賀朝雅の最期とは?鎌倉殿になれず畠山重忠の乱の原因にもなった人物

北条時政とりく(牧の方)の娘婿である平賀朝雅を取り上げます。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での平賀朝雅

記事を読む

久松俊勝 徳川家康の母・於大の方の再婚相手!家康に激怒で隠居する?

徳川家康の義父にあたる久松俊勝を取り上げます。 大河ドラマ「どうする家康」では、リリー・フラン

記事を読む

江 お江与

2011年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のヒロイン。 江についての生涯をご紹介していきた

記事を読む

お市の方

今回、取り上げるのはヒロインの江の母である、お市の方です。 お市の方は、「戦国一の美女」など美貌に

記事を読む

2026 大河ドラマ「豊臣兄弟!」のキャスト|ヒロイン役の永野芽郁の代役は?

2026年の大河ドラマ第65作目となる「豊臣兄弟!」は、久しぶりに戦国

藤原定子 夫・一条天皇に寵愛されたが実家の没落に見舞われた悲運の皇后

母の高階貴子や清少納言は取り上げたのですが、肝心の藤原定子を取り上げて

藤原宣孝 紫式部の夫で歳の差20歳以上?結婚生活は約3年で死別する

紫式部は、源氏物語という名作を世に出しましたが、当の本人は清少納言や和

清少納言と紫式部は犬猿の仲!?2度の結婚と藤原定子への宮仕え

紫式部のライバルとして名高い清少納言を取り上げます。 大河ドラマ

藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい

藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言っ

→もっと見る

PAGE TOP ↑