八田知家 鎌倉殿の13人のひとりで阿野全成を殺害した人物
鎌倉幕府で御家人たちが源頼家を抑える(?)ために結成された十三人の合議制の13名を紹介していきたいと思います。
まずは、市原隼人が演じる八田知家(はったともいえ)から取り上げます。
八田知家とはどんな御家人だったのでしょうか?
八田知家 鎌倉殿の13人のひとり
八田知家は、下野国宇都宮氏の当主であった八田宗綱の四男として1142年に誕生します。5歳上の姉に、寒河尼がいます。
寒河尼は、源頼朝の乳母をしていた女性で、その子供に結城朝光がいます。
結城朝光は、梶原景時の変が起きるきっかけをつくった人物で知られています。きっかけというか梶原景時が結城朝光を陥れようとした際に反対に景時を糾弾訴状で追い詰めた。ドラマでは、阿波局に琵琶を教えていましたね。
という事で八田知家と結城朝光は叔父と甥の関係になります。
八田知家は、姉の寒河尼が源頼朝の乳母をしていた関係もあるのか頼朝の平家打倒の挙兵に早くから参加していたようです。
平氏追討では、源範頼が率いていた軍の一員でした。また、奥州合戦では千葉常胤とともに東海道大将軍として活躍しました。
主君・源頼朝が亡くなると鎌倉幕府の2代将軍である源頼家にそのまま仕え十三人の合議制の一人として名を連ねました。
八田知家 源頼家の命で阿野全成を殺害する
源頼家の時世、権力を巡り北条氏と比企氏が対立していきます。そして、その対立が決定的になるのが阿野全成の事件です。
阿野全成は、北条時政の娘・阿波局と結婚していました。なので、当然の如く北条時政側の人間となります。また、阿波局は頼家の弟・実朝の乳母をしていました。
北条時政は、比企氏側にいる源頼家よりも源実朝を鎌倉殿にしたいこともあり阿野全成と手を組み源頼家を廃しようとします。
しかし、源頼家は先手を打って阿野全成を謀反の罪で捕らえて常陸国に配流。そして、八田知家に命じて殺害させました。
結局、後から命を下した源頼家も殺害されて比企氏一族も滅ぼされるわけですが、八田知家は阿野全成殺害から15年後の1218年に享年76歳と割と長生きしました。
天寿を全うした八田知家ですが、跡を継いだ嫡男の小田知重は父の死からたった1年で源実朝の暗殺事件に巻き込まれ討死しています。
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