*

平手政秀役は上杉祥三!織田信秀と信長に仕えた家臣で最期は切腹する

スポンサーリンク

大河ドラマ「麒麟がくる」は、織田信秀が亡くなり今川に睨まれて四面楚歌の織田信長に義父である斎藤道三が助け船を出しますが、何だか斎藤家中も織田家中も不穏な空気が流れていて・・・。

そんな中、さらっと流されてしまった感のある織田家家臣・平手政秀(ひらてまさひで)の切腹事件。

大河ドラマでは、織田信秀に殉じた感じに描かれていた平手政秀の亡くなり方でしたが、平手政秀はなぜ最期に切腹をしてしまったのか?又、平手政秀の生涯について迫ってみたいと思います。

平手政秀を演じるのは俳優の上杉祥三

ところで、大河ドラマ「麒麟がくる」で平手政秀を演じていたのは上杉祥三さんです。

上杉祥三さんは、舞台俳優出身ですが、舞台だけでなく沢山のドラマや映画に出演していますね。

大河ドラマも「麒麟がくる」の他にも過去9作品出演を果たしています。ここ数年間では「軍師官兵衛」(2014)の江田善兵衛役、「花燃ゆ」(2015)の三条実美役、「おんな城主 直虎」(2017)の水野忠重役などがあります。

平手政秀は、うつけと呼ばれた織田信長の奇行を止めさせ目を覚ますように切腹を選んだというイメージがあります。上杉祥三さんは、そんな平手政秀のイメージにぴったりの俳優さんですね。

平手政秀の生涯について

それでは、戦国武将としての平手政秀、その生涯について解説していきます。

平手政秀は、織田信秀・信長の父子2代に仕えた重臣で信長が誕生してからは主に信長のもり役となりました。・・・信長はうつけと評判でしたので大層、苦労したはず(汗)

平手政秀 織田信秀の重臣で織田信長のもり役

平手政秀は史料が少なく確かではないのですが、平手経英の子として1492年に生まれたとされています。

その後、どんな経緯で織田信秀に仕えたのかは分かっていないのですが、主君の信頼も厚く次席家老となり尾張・志賀城の城主へと出世していきます。

又、嫡男だった信長が誕生するともり役を任されたと伝えられています。嫡男のもり役なので織田家では相当な地位にあったことが理解できますね。

織田信長の初陣にも後見役として参加します。他にも織田家と敵対していた斎藤道三との和睦にも一役買い、信長と帰蝶の結婚も成立させることができました。

平手政秀は、茶道にも精通している文化人だったのですが信長もその影響を受けたとも言われています。

まさに織田信長の父親代わりの存在だったのではないでしょうか?

平手政秀 織田家の外交官として大活躍

平手政秀は、先述の通り斎藤道三との和睦を取り成し帰蝶を信長の嫁にする事が出来ました。

他にも織田信秀の名代を預かり朝廷との交渉を行ったり苦しい戦いを強いられていた安城城での織田信広に援軍を率いたりと優れた外交手腕を発揮した事でも有名です。

平手政秀は、織田家にとってはなくてはならない家臣ですよね。

平手政秀はなぜ切腹したのか?

忠臣だった平手政秀は、悲しいことに切腹するという最期を迎えます。

切腹したのは、1553年2月で享年62才でした。1552年に織田信秀が亡くなっているので翌年という事になります。それは、織田家の家督を信長が継いで間もなくでもあります。

父・信秀が亡くなっても奇行ぶりが治らない信長を悔い改めさせるために切腹したとも伝わっています。当時の信長は、家督を継ぐにもまわりからかなり疑問視されていました。

平手政秀の切腹の原因は、他にも様々な説があります。

「信長公記」には、信長との不和が原因とあります。平手政秀の息子が持っていた馬を信長が欲しがったが譲らなかったため次第に不和に繋がったというものです。

他にも信長の弟である信行派である他の重臣達との対立が原因ではないかという説もあります。

平手政秀の切腹の謎はいまだに解明されていませんが、ただ、亡くなった平手政秀のために信長が政秀寺と名付けたお寺を建立、そして菩提を弔っていたり政秀の子たちが信長の家臣になっているので不和説はないのではないかと思うのですが・・・。

最後に、ネタ(?)として平手政秀の娘があの有楽斎(織田長益)の正室になっているんですよね!

スポンサーリンク

関連記事

久松俊勝 徳川家康の母・於大の方の再婚相手!家康に激怒で隠居する?

徳川家康の義父にあたる久松俊勝を取り上げます。 大河ドラマ「どうする家康」では、リリー・フラン

記事を読む

土田御前 大河ドラマで織田信長の母を演じるのは檀れい

大河ドラマ「麒麟がくる」で、帰蝶が織田家に嫁ぎました。 そのため、織田家の人物が登場するように

記事を読む

豊臣秀吉 側室

豊臣秀吉 側室 についてご紹介します。 戦国時代きっての女好き、天下人の豊臣秀吉に側室たちに ス

記事を読む

豊臣秀吉 側室③

豊臣秀吉 側室 について続きの続きです。 豊臣秀吉の側室は、ホントに沢山いたらしいのですが、 史

記事を読む

円融天皇の愛妻は詮子・遵子ではなく最初の中宮・藤原媓子だった!?

大河ドラマ「光る君へ」に登場する人物という事で、第64代天皇である円融天皇(えんゆうてんのう)を取り

記事を読む

阿野全成 今若丸の幼少名で知られる源義経の同母兄

以前、このサイトで妻の阿波局(実衣)を取り上げた事がありますが、夫の阿野全成はまだ取り上げていなかっ

記事を読む

家光の側室 お玉の方

今回、取り上げるのはお玉の方、後の桂昌院です。テレビドラマ「大奥 誕生~有功・家光篇」では、KAT-

記事を読む

茶屋四郎次郎 徳川家康の伊賀越えを助け信頼を得る!徳川家の御用商人になる

大河ドラマにおける茶屋四郎次郎は、幾度となく登場しています。 2023年のNHK大河ドラマ「ど

記事を読む

藤田伝吾 本能寺の変や山崎の戦いで活躍した明智五宿老の一人

大河ドラマの印象的な登場人物を紹介するという事で、今回の記事では藤田伝吾を取り上げたいと思います。

記事を読む

藤原秀衡の正室が義理の息子・藤原国衡に再嫁する!?マジ話でした

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」先週の第20回放送で気になる場面がありました。 その場面というのは

記事を読む

藤原定子 夫・一条天皇に寵愛されたが実家の没落に見舞われた悲運の皇后

母の高階貴子や清少納言は取り上げたのですが、肝心の藤原定子を取り上げて

藤原宣孝 紫式部の夫で歳の差20歳以上?結婚生活は約3年で死別する

紫式部は、源氏物語という名作を世に出しましたが、当の本人は清少納言や和

清少納言と紫式部は犬猿の仲!?2度の結婚と藤原定子への宮仕え

紫式部のライバルとして名高い清少納言を取り上げます。 大河ドラマ

藤原道長の妻 源明子は本来なら女王の身分!源倫子との格差が大きい

藤原道長には、嫡妻である源倫子のほかに妻がもう一人います。源明子と言っ

藤原実資とその妻・桐子の夫婦仲は?日記「小右記」は本当にあった

お笑いの「ロバート」秋山竜次が、大河ドラマ「光る君へ」で藤原実資を演じ

→もっと見る

S