足立遠元 13人の一人であり安達盛長とは年齢逆転した甥と叔父の関係
鎌倉殿の13人(鎌倉幕府、13人の合議制)を紹介という事で、今回取り上げますのは足立遠元(あだちとおもと)になります。
大河ドラマでのキャストは大野泰広が演じています。
鎌倉幕府の御家人で「あだち姓」は、足立遠元と安達盛長がいます。この二人は甥(足立遠元)と叔父(安達盛長)の関係です。そして足立氏と安達氏の祖とされています。
足立遠元の出身について
足立遠元は、武蔵国足立郡を支配していた豪族・藤原遠兼の息子として誕生しました。
父・遠兼はもともと京出身でしたが、武蔵国足立郡に移り住んでそのまま本拠地としました。そして、息子の遠元の代で地名に因んだ足立という姓に改名しました。
父・遠兼の弟として安達盛長がいます。(ただし「尊卑分脈」のみの記述)安達盛長は、源頼朝が流人だった頃からの家来で頼朝が最も信頼していた人物でもあります。遠元と盛長は甥と叔父の関係であっても遠元の方が年上だと言われています。
足立遠元 13人の一人として
足立遠元は、武士でありながら公文所寄人に選出されるなど坂東武者の中では極めて文才能力に長けた人物であったと伝わります。
そのため戦で活躍するというよりも幕府内では文官的な役割を与えられていたようです。2代将軍・頼家時代でも13人の合議制の一人として加わりました。ちなみに叔父の安達盛長も13人に入っています。
遠元は、幕府での文官としての地位が注目されがちですが勿論、過去には武士として戦にも出陣していました。平治の乱では、頼朝の父・源義朝に従い17騎の一人として戦いましたし頼朝の挙兵にもいち早く参上しました。
頼朝の死後、御家人たちの権力争いが勃発しても一線を画す感じで自身にあまり影響はなかったようです。
そして、足立遠元が歴史上の史実に載るのは1207年の闘鶏会参加が最後でした。この時すでに70歳を超えていて当時としてはかなりの高齢だったとみられます。
足立遠元は、源頼朝を支えた御家人の中でも天寿を全うした人物であったようですね。
関連記事
-
-
江 初 茶々 浅井三姉妹
江 初 茶々 浅井三姉妹について。 浅井長政とお市の方の間に生まれた茶々、初、江。 通称『浅井三
-
-
豊臣秀吉の姉・ともの悲劇!秀次亡き後は日秀尼と称して仏門に入る
大河ドラマ「どうする家康」も終わりましたが、登場人物の紹介は続きます。でも今回、紹介する人物は今回ド
-
-
源行家 死神と言われた男の最期とは?源頼朝、源義経、源義仲の叔父
さて、本日取り上げるのは源頼朝・源義経・源義仲の叔父にあたる源行家(みなもとのゆきいえ)になります。
-
-
平手政秀役は上杉祥三!織田信秀と信長に仕えた家臣で最期は切腹する
大河ドラマ「麒麟がくる」は、織田信秀が亡くなり今川に睨まれて四面楚歌の織田信長に義父である斎藤道三が
-
-
清少納言と紫式部は犬猿の仲!?2度の結婚と藤原定子への宮仕え
紫式部のライバルとして名高い清少納言を取り上げます。 大河ドラマを観てから教科書にも載っていた
-
-
三浦義村 山本耕史が演じる北条義時の親友でしたたかな武将
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主人公・北条義時の親友として描かれている相模国の御家人・三浦義村を今回
-
-
今川氏真 徳川家康との関係やその子孫について!最期はどうなる?
大河ドラマ「どうする家康」で、溝端淳平が演じているのが今川氏真(いまがわうじざね)です。氏真は、今川
-
-
徳川家康 正室 築山殿
徳川家康 正室 築山殿 について。 大河ドラマ「江」の2011年1月23日放送で、江に衝撃を与える
